私が普段見ている世界は私が作った物語の表象であり私のイデアそのものである。私は自ら進んで私が作った不幸の物語に入っていく。
私はどのようにしたらイデアの牢獄から脱出できるだろうか。
対象を処理しようとしたその刹那に、立ち止まってそのディテールに気を配ると、対象に対するラポール(温かい交流)が出現する。
それは私のバーチャル世界に穴が開く瞬間である。
私たちはディテールを介してしか、世界を愛せない。
私たちはディテールを介して、世界のつぶやきを聞く。
穴の向こうがまた新たなバーチャル世界だとしても、多様なモードに開かれているということに意味がある。
ではなぜ対象のディテールに気を配るとラポールが生じるのか。
ディテールには善悪美醜がないからである。
ディテールはイデアを纏っていないために善悪美醜を免れている。
あるいはディテールに立ち止まるという行為、
立ち止まるという行為そのものが、とりもなおさず「私のバーチャル」のリセットなのかもしれない。
立ち止まって、ディテールを聴く。
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