中枢神経を有する生物は脳の中にモデルとしての世界を持つことが出来る。
中枢神経とは仮想世界の入れ物のようなものだ。
仮想世界はそのままでは脳の中の単なる景色(view)だけれども、「言語」が誕生すると仮想世界は自動能を獲得して、まるでゼペットじいさんの作ったピノキオのように勝手に動き始める。
やがて仮想世界は現実世界に対して優位に立つようになる。
現実世界には過去も未来もないけれども、仮想世界には「言語」による未来と過去があり、ここではないどこかが存在する。時間的空間的自由を獲得した仮想世界は現実世界よりも優位な立場に立つとともに現実世界を変革するようになる。
仮想世界の言語の主催者ははじめは「神」だが、仮想世界に「私」が誕生することによって主人公は徐々に「私」にシフトし、やがて「神」は消滅する。ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」は、我々に「意識」が出現し「神」が消滅したのはつい最近(今から3000年前)であると述べている。(だが名実ともに「神」が消えたことを我々が知るのはもっとずっとあとのことだ)
では「私」はいつ誕生するのか。
viewとしての世界に私が登場するためには「viewとしての私」が必要である。
それは何によって獲得されるのだろう。
私は自分の顔を直接見ることが出来ないので、古い時代には似顔絵や水瓶の水をのぞき込むことでしか自己のイメージは得られなかった。やがて人々の生活に余裕が出来てみんなが自分の鏡(今風に言えばマイ鏡)を持つようになると「私」は急速に普及する。「鏡」という道具と「私」というシステムが疫病のように社会に広まった時代があったのだろう。
つまり仮想世界には三つのレベルがあり
A.中枢神経が生まれてviewとしての仮想世界が誕生するレベル。
B.「言語」が発明されて仮想世界が現実世界の優位に立つレベル。
C.広く鏡が普及して「私」が流行し「神」が消退するレベル。
そしてこれら三つのレベルを担うのは
A.は中枢神経のある生物たち。
B.は古代の人間たち。
C.は現代の人間たち。
2008/04/06
仮想世界に「私」が登場する瞬間
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