「どこかと繋がっている予感」ってありますねぇあっ、失礼…久々登場のyamです。好きなアーティストの新譜を聴いて感想をメールしたらインタビュー番組で自分が送ったメールの内容に近い事を話していたり(たぶん偶然だろうけど…)夜中に田舎にいる母親に何度も呼ばれる夢をみたら翌日に体調を崩していた事を知ったり。前の夜に、沢木耕太郎の「青いパパイヤの香り」の映画評を読んでこの映画みてみたいなぁと思っていたら次の朝、キムタクが新作映画のインタビューを受けているところをTVで見てその監督が「青いパパイヤの香り」の監督と同じだったり…。へぇ〜これって「新作も見てね」って事?と、事務所の女の子に話したら彼女曰く「そういう偶然は滅多に無いですから、何か有る筈です!映画見に行って下さい!」絶対に交わらない線を描きながら生きるなんて事はできないんじゃないかなぁと最近考えています。ならば、どんどん行こうじゃないかっ!どうしたって避けられない事があるなら飛び込んじゃおう!Let It Bleedやってみなけりゃわからない!見て!聴いて!嗅いで!触って!五感をフルに使って行こう!その後にやってくるものが達成感や幸福で無かったとしてもそれでも私たちにはマイナスをまたプラスに変えられる底ヂカラがあるんだから!って、なんか決意表明みたいになってますけど特に何かがあったわけではないです…テヘヘ。
yamさんひさしぶりー(^_^)。以前のyamさんのコメントに対する僕の返事でお気を悪くされたのかと反省していました。僕も霊感は弱い方ですが、それでも時々yamさんの経験したような偶然の一致を経験します。シンクロニシティー。一時期ユング心理学にかぶれていたので、今も興味が続いています。いくつかの偶然が重なると、これには意味があると思います。その意味は何だろうと一生懸命考えて、おお、そうか。こういう事だったのかと気が付いて、行動や態度を変更したりします。マイナスをプラスに変えるほどの底力はぼくにはないけど、こういう思考法は僕には大切な宝です。
あはは、shinさんたら気にし過ぎっす。yamはここんとこずっと、仕事に追われてただけですよ。子供の頃の話をひとつ…え〜、コホン。小学生の時、象が踏んでも壊れない筆箱を使っていた私。当時は筆箱の進化著しく、お友達はキャラクターの付いたものやら消しゴムと鉛筆を入れるところがセパレートされているものやら鉛筆をさすところが立体的に立ち上がるものやらふたが表にも裏にも横にも付いているものやら…。でも私のは象が踏んでも壊れない…。私「新しい筆入れが欲しい」母「まだ使えるでしょ」私「だってみんなもってるんだよ」母「それは理由にならない」私「………………。」母「お母さんを納得させられる理由が無い限り買いません」私「浜田省吾のファンクラブに入りたい」母「目的は?」私「サイン入りの新譜が買えるから」母「それは理由にならない」私「……………。」母「浜田省吾の何に共感し、ファンクラブに入る事によって貴方は浜田省吾から何を得られるのか?説明しなさい。」とにかく何でもこんな感じの母、おかげで考えグセがついちゃって結果、めんどくさい女に仕上がっております。だけど、ここまで生きてみるともうこれ以上は無理!ダメージデカすぎっす!なんて人生色々あるわけですがそこからまた始める為にはやっぱり思考能力が無ければ這い出せなかったりすることも………。そしてシンクロニシティ。ポリスの一番好きなアルバムですが私たちは好きなアーティストや作家が送り出してくる歌や物語の中からいろいろな発見をしたり、泣いたり笑ったりするわけですがそんな風に受け取ったもので人生を豊かにして行く事もできるんですよね。shinさんの写真も私の人生を豊かにしているわけです。なのでyamの事はフーテンの寅さんのように思っていてください。また忘れた頃に…ちょーど今、噂してたんだよねぇ〜的なタイミングでまた寄せていただきますから………。
おやっ、ありゃあyamさんじゃないかい?「いよっ、労働者諸君。元気で働いているかね?」こんな感じでしょうか(笑)。yamさんのお母さんってすごい理論的なお母さんですね。ふつうは、「あかんてゆうたらあかん!」(標準語:ダメと言ったらダメ!)で終わる話ですが、理論に打ち勝ってこそ購入の道が開けるというのは・・・・。お母さんの、「理論では絶対負けヘン!」という自信がうかがえます。う~ん、小学校の時にアーム筆入れということは、もろに同年代じゃないですか。なつかしくてなみだがちょちょぎれる(死語)ってもんです。たしかに一度象が踏んでも壊れない筆箱を買ってしまったが最後、その人は終生その筆箱を使い続けなくてはならないわけですね。これは「アームの呪い」と名づけよう。棺の蓋を閉めようとする納棺夫。「ま、待っておくれ!」「かあさん!もう父さんとはお別れなんだよ!」「こ、これをお棺に一緒に入れてあげてほしいんじゃ」「こ、これは!」「アームじゃよ。父さんが生涯使い続けなければならなかった、アームじゃよ!」
「どこかと繋がっている予感」ってありますねぇ
返信削除あっ、失礼…久々登場のyamです。
好きなアーティストの新譜を聴いて感想をメールしたら
インタビュー番組で自分が送ったメールの内容に近い事を話していたり
(たぶん偶然だろうけど…)
夜中に田舎にいる母親に何度も呼ばれる夢をみたら
翌日に体調を崩していた事を知ったり。
前の夜に、沢木耕太郎の「青いパパイヤの香り」の映画評を読んで
この映画みてみたいなぁと思っていたら
次の朝、キムタクが新作映画のインタビューを受けているところをTVで見て
その監督が「青いパパイヤの香り」の監督と同じだったり…。
へぇ〜これって「新作も見てね」って事?
と、事務所の女の子に話したら彼女曰く
「そういう偶然は滅多に無いですから、何か有る筈です!映画見に行って下さい!」
絶対に交わらない線を描きながら生きるなんて事は
できないんじゃないかなぁと最近考えています。
ならば、どんどん行こうじゃないかっ!
どうしたって避けられない事があるなら飛び込んじゃおう!
Let It Bleed
やってみなけりゃわからない!見て!聴いて!嗅いで!触って!
五感をフルに使って行こう!
その後にやってくるものが達成感や幸福で無かったとしても
それでも
私たちにはマイナスをまたプラスに変えられる底ヂカラがあるんだから!
って、なんか決意表明みたいになってますけど
特に何かがあったわけではないです…テヘヘ。
yamさんひさしぶりー(^_^)。
返信削除以前のyamさんのコメントに対する僕の返事でお気を悪くされたのかと反省していました。
僕も霊感は弱い方ですが、それでも時々yamさんの経験したような偶然の一致を経験します。
シンクロニシティー。
一時期ユング心理学にかぶれていたので、今も興味が続いています。
いくつかの偶然が重なると、これには意味があると思います。その意味は何だろうと一生懸命考えて、おお、そうか。こういう事だったのかと気が付いて、行動や態度を変更したりします。
マイナスをプラスに変えるほどの底力はぼくにはないけど、こういう思考法は僕には大切な宝です。
あはは、shinさんたら気にし過ぎっす。
返信削除yamはここんとこずっと、仕事に追われてただけですよ。
子供の頃の話をひとつ…え〜、コホン。
小学生の時、象が踏んでも壊れない筆箱を使っていた私。
当時は筆箱の進化著しく、お友達はキャラクターの付いたものやら
消しゴムと鉛筆を入れるところがセパレートされているものやら
鉛筆をさすところが立体的に立ち上がるものやら
ふたが表にも裏にも横にも付いているものやら…。
でも私のは象が踏んでも壊れない…。
私「新しい筆入れが欲しい」
母「まだ使えるでしょ」
私「だってみんなもってるんだよ」
母「それは理由にならない」
私「………………。」
母「お母さんを納得させられる理由が無い限り買いません」
私「浜田省吾のファンクラブに入りたい」
母「目的は?」
私「サイン入りの新譜が買えるから」
母「それは理由にならない」
私「……………。」
母「浜田省吾の何に共感し、ファンクラブに入る事によって貴方は浜田省吾から何を得られるのか?説明しなさい。」
とにかく何でもこんな感じの母、おかげで考えグセがついちゃって
結果、めんどくさい女に仕上がっております。
だけど、ここまで生きてみると
もうこれ以上は無理!ダメージデカすぎっす!なんて人生色々あるわけですが
そこからまた始める為には
やっぱり思考能力が無ければ這い出せなかったりすることも………。
そしてシンクロニシティ。ポリスの一番好きなアルバムですが
私たちは好きなアーティストや作家が送り出してくる歌や物語の中から
いろいろな発見をしたり、泣いたり笑ったりするわけですが
そんな風に受け取ったもので人生を豊かにして行く事もできるんですよね。
shinさんの写真も私の人生を豊かにしているわけです。
なのでyamの事はフーテンの寅さんのように思っていてください。
また忘れた頃に…
ちょーど今、噂してたんだよねぇ〜的なタイミングで
また寄せていただきますから………。
おやっ、ありゃあyamさんじゃないかい?
返信削除「いよっ、労働者諸君。元気で働いているかね?」
こんな感じでしょうか(笑)。
yamさんのお母さんってすごい理論的なお母さんですね。
ふつうは、
「あかんてゆうたらあかん!」(標準語:ダメと言ったらダメ!)で終わる話ですが、理論に打ち勝ってこそ購入の道が開けるというのは・・・・。
お母さんの、「理論では絶対負けヘン!」という自信がうかがえます。
う~ん、小学校の時にアーム筆入れということは、もろに同年代じゃないですか。
なつかしくてなみだがちょちょぎれる(死語)ってもんです。
たしかに一度象が踏んでも壊れない筆箱を買ってしまったが最後、その人は終生その筆箱を使い続けなくてはならないわけですね。
これは「アームの呪い」と名づけよう。
棺の蓋を閉めようとする納棺夫。
「ま、待っておくれ!」
「かあさん!もう父さんとはお別れなんだよ!」
「こ、これをお棺に一緒に入れてあげてほしいんじゃ」
「こ、これは!」
「アームじゃよ。父さんが生涯使い続けなければならなかった、アームじゃよ!」