2010/10/05

「所さん」の発見 あるいは人生という遊戯を純粋に楽しむために

以前陽水をよくわからないけど気になる人として取り上げたけど、やっぱりよくわからない人として今日取り上げるのは所さん。
高い人気を維持しており昔も今もテレビになくてはならない人。
多趣味で、見るからに人生を楽しんでいて、一般の人だけではなく同じ芸能人にも彼を慕っている人は多い。
収入も多くてあちこちに別荘を持っているけど成功者臭さがない。
軽くて楽天的で開放的で、しかも友情や愛情や共感を大切にしている。
そんなにいい人なのに不思議といい人臭さがない。
彼のように楽に生きて、しかも幸せなら誰しも彼の生き方にあこがれるだろう。
でもたぶん簡単ではない。
簡単そうに見えて、簡単ではない。

その秘密の一端は彼の賢さにあるような気がする。
今の人は知らないかもしれないけど、20年近く前にテレビで放送されていたマジカル頭脳パワーという番組を見ていた人はみんな知っている。
この人は恐ろしく頭のいい人なのだ。
出題される前に答えを言って司会の板東英二を悔しがらせたこともある。
頭の良さにもいろいろあるけどこの人の頭の良さというのは物事のルールを見抜く速さにあるような気がする。

たぶん所さん本人は否定すると思うし、むしろ僕の文章を読んだら怒り出すかもしれないけど、僕が彼から感じる雰囲気は、ゲームを上がった人。すごろくに「あがり」というのがあるけれど
彼は人生のごく早い段階でゲームのルールを見抜いて一度上がってしまったんじゃないだろうか。

それが誰かほかのひとの作ったゲームだということをほとんどの人は意識していないが、僕たちはみんな社会とか世間とか人生とかいったどんよりしたゲームの中を生きている。
このゲームを川に例えると、ほとんどの人にとってこの川は自分の身長と同じだけの深さがあって生まれた時からずーっとこのゲームの中を泳いでいる。
だからこれがゲームだということに気が付かない。
僕たちはこのゲームの中で七転八倒しながら生涯を終える。
それは人生と等身大のゲームなのだ。

彼はほかの人より背が高かったので(それはつまり彼が賢かったということなのだが)、ある時水面に顔を出してこの川のルールを見渡すことが出来た。
そして彼は川からさくさく上がってこう言ったのだ。
「すっごいですねー。」
それからどうしたか。
彼は何と再び川に戻って泳ぎ始めたのだ。楽しげに。
普通ゲームを上がってしまうと人は退屈してしまうのだが、彼の偉い点はもう一度川に戻って遊び始めたことだ。
上がってしまった人は、もう勝つ必要がない。
無心にゲームを楽しむことの出来る特権は、上がってしまった人にのみ与えられる。
彼は遊ぶ。まじめに。

「遊び」の原則とは何か。
1.まじめに取り組むこと
2.ルールを守ること
3.雑念を持ち込まないこと

どうしてまじめに取り組むかというと
遊びというのはかりそめであり、かりそめに命を与えようと思ったらまじめでなければならないからだ。
なぜルールを守る必要があるかというと我々はルールと戯れるために遊ぶのだから。
雑念を持ち込まない。これは純粋に遊びを楽しむということなのだが、我々はえてして遊びに人生を持ち込んでしまう。
ゲームの敗北が人生の敗北を暗示しているような気がして意地になる。
だがこれは仮設の遊戯なのであって、そこに人生を投影してはならない。
人生を投影している限り遊びに軽さと純粋さは生まれない。
人生を投影しないためには、一度上がってしまわないといけない。
一度上がってしまった人は遊びに人生を投影しない。

こうして彼は軽々とゲームを遊ぶ。
そうして彼は軽々と人生を遊ぶ。

人生も遊戯である。
多くの人が彼のように軽々と人生を楽しめないのは人生に人生を投影しているからである。

そこで先ほどの遊戯の原則を人生に置き換えて再掲してみる。
「人生」の原則とは何か。
1.まじめに取り組むこと
2.ルールを守ること
3.雑念を持ち込まないこと

どうしてまじめに取り組むかというと
人生というのはかりそめであり、かりそめに命を与えようと思ったらまじめでなければならないからだ。
なぜルールを守る必要があるかというと我々はルールと戯れるために生きるのだから。
雑念を持ち込まない。これは純粋に人生を楽しむということなのだが、我々はえてして人生に人生を持ち込んでしまう。
人生の敗北が人生の敗北を暗示しているような気がして意地になる。
だがこれは仮設の遊戯なのであって、そこに人生を投影してはならない。
人生を投影している限り人生に軽さと純粋さは生まれない。
人生を投影しないためには、一度上がってしまわないといけない。
一度上がってしまった人は人生に人生を投影しない。

人生に人生を投影しないためには、ひとは一度人生を上がってしまわなければならない。
彼のように賢くなくても、人生というのは僕たちの等身大の遊戯に過ぎないと気が付けばそれだけで僕たちは彼と同じ視点を持つことが出来るだろう。

長々と書いてきたけれども、少なくとも僕の場合はその効果はとりあえず通勤の時にほかの車に追い越されてもぜんぜんイライラしないという効果がありました(笑)。



2 件のコメント:

  1. お体の具合はいかがですか?お大事にしてください。

    とても言い得ていますね。さすがです。
    上手く表現出来ずにモヤモヤしていたことを、
    すっきりと言い当ててくださいました。

    人生の敗北を投影。まさにその通りです。
    いつも自分の写真に、それが出てしまっていることを、
    見て見ない振りをしながら過ごしています。
    それをshin さんに気づかれてしまっていることが、
    本当は恥ずかしいんですけど。

    溺れていても、特別悪い状況に感じていないのは、
    他にもたくさん、もっと溺れている人がいるのを知っているから。
    他人事のように油断してるんです。
    小さな甘美な誘惑がたくさん隠れているから。
    そうして毎日に溺れているんです。
    ダメですね。まいっちゃうなあ。

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  2. bouillonさんありがとうございます。
    どうかまいらないで下さい(笑)。
    人生にはいろんな部屋があって
    敗北の部屋や悲しみの部屋もその一つだと思います。
    僕らは所詮所さんのようにいつも陽気に過ごすことは出来ないだろう。
    ただ、別の部屋に行きたいと思った時に自由に部屋を移動できる視点があるとすれば
    それは彼のような視点なのかもしれない。
    そんなことを考えました。
    実際の所さんは違うかもしれない。
    でも彼の生き方をモデルに今回彼の視点を想像したことは僕にはとても有意義でした。

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