2011/04/02

引き裂かれてあること。

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西洋の思うがままにならないように、僕達が僕達であることを失わないために、
あえて僕たちは僕達であることをやめて彼らの流儀を採用したのだろう。
彼らの流儀を採用はしても、僕らが僕らであることをすっかりやめたわけではなくて、
僕らは僕らでありつつ僕らの本来のあり方ではないという、引き裂かれた状態を、
僕たちはこれからもずっと引き受けていかなければならない。

先日テレビで見たジブリの特集で、もののけ姫の完成間際に、
プロデューサーの鈴木敏夫さんが宮崎駿監督にダメだしをして、(自然の破壊者である)エボシ御前を殺すように言う。
一度は了承した監督は翌日鈴木氏に「やっぱり殺せない」という。
僕たちは自然を破壊しながら生きていかざるをえない。苦しみながら。
その運命を引き受けながら生きて行くしかない。
引き裂かれながら。

2 件のコメント:

  1. こんばんは。
    いちど決めた方向を転換するのは容易ではないですよね。
    >僕たちはこれからもずっと引き受けていかなければならない
    ならばどうしたらいいのか。

    引き裂かれた状態を元に戻せないなら
    元より以上の良い状態を作り出すことを考えられないか。
    ずっと引き受けていかなければならないなら
    その先に希望が欲しいと思います。

    人はいつも性急に解答を求めがちですが
    おそらく本来為さなければならないのは正しい解答を見つけることよりも
    正しい問いかけは何かということを探すことなのかもしれません。

    その問いかけが正しいのなら迷いなく解答を求めることに集中できます。
    その先には希望があるのではないか、と。
    有事においては正しい問いかけができるリーダーが欲しいと思います。

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  2. cahier-bさんありがとうございます。
    答えがあるはずなのにその答えが自分には明らかにされていないということが僕達の苦しみの原因なら、
    いっそ誰かに答えなどというものはないのだ言ってもらえれば捜す必要はなくなります。
    問題は苦しい顔をして背負っていくのか、明るい顔をして背負っていくのかということなのです。
    どちらも背中が痛いことに変わりはないのですが。
    あの映画の歯切れの悪さはそこにあるのだし、そしてその歯切れの悪さそのものが僕らの希望なんだという気がします。

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