2011/04/27

3つの挿話

きな臭いのは政治や震災や原発の話だけではないのですが
糸井さんのツイートからヒントを貰いました。

第一の挿話
糸井重里のtwitterでのつぶやきより。
『ぼくは、じぶんが参考にする意見としては
「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。
「より脅かしてないほう」を選びます。
「より正義を語らないほう」を選びます。
「より失礼でないほう」を選びます。
そして「よりユーモアのあるほう」を選びます』

第二の挿話
NAVI(車雑誌)のBMWとBENZの試乗記事(1991年の2月号)での村上春樹の言葉。
「正しいことをそのまま言っては身も蓋もない」

第三の挿話
白洲正子が小林秀雄から聞いた言葉。
「いちばん言いたいことを文にしちゃったらもうそれはダメだ」


脅しも理論もそして正義さえもが、聞き手の逃げ場をなくして追い込んでいく。
その語りは開いた窓から爽やかな風が吹き込んでいるだろうか。

13 件のコメント:

  1. 糸井重里の言葉で好きなやつ。
    "順番のつくような、どんな価値を持っていても
    その順番は、もっとすごいやつに追い抜かれるし
    その価値は、年齢や動機の喪失やなんかとともに
    だんだん減っていってしまうだろうけれど
    「いまここに、あいつがいたらなぁ」 って
    思われることの価値は、永遠なんだよ。"

    ちなみに松田聖子なら、僕のサイトでお楽しみ下さい(笑)

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  2. blanketx49さんありがとうございます。
    >「いまここに、あいつがいたらなぁ」
    そんなことはなかなか言ってもらえませんね。
    かっこいいけど(^_^)。

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  3. こんばんは。
    語り手として「気をつけないと」と思っていることのひとつが
    「聞き手の逃げ場を作る」ということです。
    これが唯一正しい……という押しつけをしない。
    それは聞き手が判断する余地を残すということでもあります。
    そしてまた、「語り手が言いたいことの神髄は何か」、
    ということを聞き手に想像してもらうということでもあります。
    そういう「逃げ場」をつくる手法のひとつとして
    「ユーモアを交える」ということがあります。
    ユーモアがなくてもある程度は伝わることにあえてこれを加えるということは、
    ひと手間よけいにかけるということです。
    その状況に適切なユーモアを用意するのは労力がかかります。
    ですからユーモアを交えるということは相手に対して愛情がなくては出来ません。

    私は論旨が正しければ「よりユーモアのあるほう」を選びます。
    一言のユーモアの存在で語り手に関する多くの情報が得られます。

    そうは言っても「笑いをとりに行く」ということは労力がかかります。
    誰にでも出来ることではないんですよね。
    そんなときは、笑ってくれるだけでもいいと思います。
    私は「どんな人が好きか」と問われれば
    イケメンだとか賢いとかではなくて
    「笑ってくれる人」と答えることにしています^^

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  4. shinさんへ
    サイトを見に来てくれてありがとう。
    余裕があるときに、また遊びにきて下さい。

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  5. bouquet-nさんありがとうございます。
    僕の言いたかったことを全部言っていただいたのですっきりしました(^_^)。
    最近のbouquet-nさんの写真では青いトーンのシャガが一番好きです。
    コメント欄開けてもらえると直接書き込めるんだけど。
    でもbouquet-nさんのブログは人気があるからコメントの返事を書く努力は並大抵じゃないだろうし。
    僕の方は幸いひっそりしています(笑)。

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  6. >blanketx49さん
    はーい。

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  7. そういえば、最近、
    「おもんぱかる」とか「つつしむ」ということばを聞いてないような気がします。

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  8. t-s-wegnerさんありがとうございます。
    おもんぱかる。いいですね。
    僕はなにを隠そう「おもんぱかる」を愛用しています(^_^)。
    ぜひご一緒におもんぱかる愛好家協会を設立しましょう。

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  9. 了解です (^_^)
    会長職と協会員第一号はshinさん。
    ワタクシには会員第二号の名誉をお与えくださいませ。

    近日中に
    設立の有り難いお言葉を広く世間に知らしめていただきたい。 (^_^ゞ

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  10. えー、ではここにわれわれは中部及び西日本おもんぱかる愛好家協会の設立を宣言する。
    中部及び西日本おもんぱかる愛好家協会の会員は常日頃より互いにおもんぱかったりおもんぱかられたりすることをモットーとするが
    ときにおもんぱかられそこなったりおもんぱかられっぱなしになったりするけれども
    おもんぱかられなかったときでさえおもんぱかられっぱなしになっちゃったときは
    おもんぱかられそこなっちゃったよとかおもんぱかりそこなっちゃったよと明るく笑みを交わすことである。
    以上をもって中部及び西日本おもんぱかる愛好家協会の基本綱領とおもんぱかるものである。
    脱会の希望をおもんぱかる会員は脱会希望の一ヶ月前までに協会本部長に面会を申し入れ「おもんぱかりつかれました」と一言述べることとする。
    こんなもんでどうでしょうか(^_^)。

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  11. 糸井重里さんのつぶやきはさすが深みがありますね!
    ユーモアが入るかどうかというのは重要なことだと思います。
    超望遠の視点で見ている時でも心のなかに広角の視野を持っているのといないのとでは写真の出来上がりが違ってくると思うのですが、ユーモアを交えることによって議論の中にもふっと広角の視点が出てくると思うんですよね。

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  12. Leopard Geckoさんありがとうございます。
    政治家の発言も新聞の記事も、
    揶揄したり中傷したり皮肉ったりはしますがユーモアがないんです。
    テンパッてるんでしょうね(笑)。

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  13. 会長様。
    有り難いお言葉確かに頂戴いたしました。
    このお言葉を糧に生きていく所存であります。

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