2012/08/09

自分に謎を掛ける。

自分に謎を掛ける。

僕は数学が苦手で大学浪人時代はそのことで随分苦労した。
当時僕は大学への数学という雑誌を愛読していて学力コンテストに参加したり
読者欄に投稿したり雑誌を抱いて寝たりしたがいっこうに数学が出来るようにもならず
ただ「エレガントな解法」という言葉に代表される数学の美しさに憧れるのが関の山だった。

どうして僕は数学が苦手なんだろう、こんなに愛しているのにと考えた結果、
それは僕に論理的思考が欠けているせいだと気がついた。
そこで僕は論理的思考を身につけようと思って
本屋さんへ行って推理小説を買ってきて読み始めた。

ちょうど今のようなたいへん暑い夏の時分で
京都御所の東側の三畳一間の下宿屋の畳に寝転がって
定番のコナン・ドイルから始めてEAポー、ECベントリー、Gルルー、AAミルンなんかを読んだ。
GKチェスタトンのブラウン神父シリーズに出会ったのもその頃で、そのとき僕は彼の宇宙的ユーモアの虜になったのだ。

ブラウン神父もので一番最初に読んだのは新潮文庫の橋本福夫訳の「ブラウン神父の純智」で、
その一番最初に載っているのが「青い十字架」という短編である。
ロンドンの聖職者大会に参加するために田舎からやってきた世間知らずの神父が持っている宝石入りの十字架を
フランスの大泥棒フランボウが同業の神父に変装して奪いとろうとする。
フランボウを追ってロンドンにやってきたパリ警察のヴァランタンは、
街のあちこちで不思議な出来事に遭遇する。
注文したコーヒーを飲もうとしたら砂糖入れに塩が入っていたり、壁にスープがぶちまけてあったり
八百屋の店先の品書きが逆になっていたり、レストランの窓が割れていたり。
もちろんこれらのことはブラウン神父がヴァランタンに自分たちを追跡させるために残していった謎なのだ。
そして最後にヴァランタンは二人に追いついてフランボウの盗みは失敗に終わるのだが、
この謎による誘導というプロットが僕は大好きで、今でもこの方法を愛用している。

大事なことを忘れないためにメモするのが一般的だと思うけど僕の場合は自分に謎を掛けるという手をよく使う。
たとえば家に帰ったらすぐにしないといけないことがあった時
いつも右のポケットに入れている家の鍵を左のポケットに入れておくと、家に入るときに鍵を探して「あれっ?」と思う。そしてその理由を思い出す。
職場をあとにするときに忘れ物をしないようにするには
朝ロッカーの靴の中に置き傘の先を差し込んでおくと、帰りにロッカーを開けて「あれっ?」と思う。そしてその理由を思い出す。
あるいは朝ロッカーの靴を横にしておくと、帰りにロッカーを開けて「あれっ?」と思う。そして自分が自分に掛けた謎の理由を思い出す。
人間はきっかけさえあればすぐに忘れていたことを思い出すので、
こうした小さな謎掛けをしておけばメモをする手間が省けて便利だ。
ということを説明するのにこんなに長々と書く必要があったのだろうか。





4 件のコメント:

  1. swingphoto8/13/2012

    ちょっと遅れたコメントですが、
    私も洋物のミステリーが大好きでした。
    私の場合、S.S.ヴァン ダインが好きでした。

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  2. swingphotoさんありがとうございます。
    あの頃って創元推理文庫とかミステリーが当たり前に身近にあった気がするけど
    最近あまり目にしないように思うのは僕だけなのかな。
    そういえばSFも時代遅れになってしまった気がしますね。
    いや文学自体がもうout of dateなんだろうな。

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  3. 私の子供も大学生ですが、本を読みません。
    ばかでは、ないはずなんですが、、、

    古いミステリーはいいですね。
    いつか、時間がゆっくりとれるようになったら
    再読したいですね。
    でも、仕事が楽しいので引退は遠い先でしょうが、、、

    shinさんのブログを拝読していると
    本当に共通点が多いです。
    いつかお会いできればと思います。

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  4. swingphotoさんありがとうございます。
    >でも、仕事が楽しいので引退は遠い先でしょうが・・・
    実は僕は早く引退したくてウズウズしているのです(笑)。

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