2019/08/13

耳順

summer time



孔子は四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順(みみしたが)ったという。
四十にして惑わずというのは情欲をある程度自分で制御できるようになったことを意味しているのだろう。
五十にして天命を知るというのは社会の中で自分が何をすれば本望か、自分のミッションは何かを自覚したということだろう。

では六十にして耳順うとはどういうことか。
 今まで自分の内なる声だけに従ってきた人間が、静かな小さな家で天の声を聞こうとするとき一体何が聞こえてくるだろう。
私が乗っている舟がどこへ向かおうとしているのかを、かすかな囁きや暗示、それらに反応する心の動きから私は察することが出来るだろうか。
 
 
 

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