2019/09/18

きのこの季節

tiny fungiNikon D800E Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50



夏が終わってきのこの季節がやってきた。
期待して山へ行ってみたけどどのキノコもまだ赤ちゃんだった。
這いつくばって撮ったこの子達、名前は何?
ヒラタケの一種?
わからない。

以前キノコをマスターしようと思って大小3冊も図鑑を買ったけど呆れて投げ出してしまった。
花なら花弁の色や数、木なら葉の形であみだをひくように答えにたどり着けるのに、キノコの場合はそういうわかりやすい分類が見当たらないのだ。

いや、もちろん分類法そのものは存在する。
しかし花や木で用いられるようなあみだ式のダイアグラムはキノコにおいては存在しないのだ。
それはなぜかというと、どうもキノコという生き物は他の生物と比べて個体差が大きいことが原因のようだ。
同じキノコでも成長の時期で色や形が変わったり、木のどこに生えるかで傘の形や柄の付く位置が変わったり、極端な場合雨が降るだけで色や形が変わったりするらしい。

う~ん、それじゃまったくお手上げじゃないか。
そうなんです。お手上げなんです。
でも、じゃあキノコ採り名人はどうやって食べられるキノコと毒キノコを見分けているんだろう?

これは僕の想像だけどキノコ採り名人は人種を見分けるのと同じ脳の領域を使っているんじゃないか。
同じアジア人でも東南アジア系とモンゴロイドは違うし、同じ欧米人でも国によって違う。
考えてみれば人間というのも個体差の大きい生き物だ。
同じ人でも成長の時期で色や形が変わったり、怒ると色や形が変わったり、極端な場合は同じひとでもどこに生えるかで着る服やあごひげの付く位置が変わる。

欧米人から見て同じに見えるアジア人を僕たちがどうやって見分けているのかと聞かれたらなんと答えるだろう。細かな違いを指摘できても、それは個体差の範囲じゃないかと言われたら?

それは結局僕たちが人生の長い時間をかけて出会ってきた同じ日本人の、たくさんのバリエーションのコアのようなもの、原日本人とでもいうべきものを中心に富士山の裾野のように広がるたくさんの日本人のイメージの総体を僕らが僕らの脳のなかに持っているから、それをもとに類縁のアジア人たちを鑑別しているのだろう。

キノコ採り名人も長い年月をかけて色んなバリエーションを見聞きし、自分の脳の中にたくさんのバリエーションの像を重ねていって、そうやってAというキノコのイデアを構築しているので、A0というキノコを見れば、ああ、これは典型的なAだなと判断できるし、A1を見たら、ああ、これは雨の日のAだなとか、A2を見たら、ああ、これはブナの木の幹の根元に生えたAだなとか、A3を見たら、ああ、これはAの赤ちゃんだなとかわかるのだろう。

じゃあそんなにたくさんキノコと出会う機会のない一般人にとってキノコを分類することは永遠に不可能なのか?そうなのか?いやでも多分これってAIの得意な領域ですよね。そのうちiPhoneに"AI誰でもキノコ採り名人"というアプリが登場すると思うのでそれまで待ちましょう。













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