2010/04/25

悪が存続していくための唯一の条件

むかし僕が高校生で、毎日を悩みの渦の中で暮らしていた頃、ロブ・グリエの「消しゴム」という小説の中の「彼は青二才のようにたっぷりと悩んでいた」という一文を読んで、そうか、悩みというのは普遍的な事象ではなくて、単に僕が青二才だからなのだと目がさめたことがある。

もちろん僕はもはや青二才ではないので、政治というものに淡い期待を抱いたりしない。良い政治というものが天然記念物のように現れることが絶対にないとは言わないが、そもそも政治というのはパワーと同義語であり、良い人は基本的にパワーを持っていない以上、政治と悪とは同義語なのだ。

政治が悪でも構わない。
我々自身の内にさえ悪はあるのだから。
だがその悪でさえ、それが存続していくためには条件がある。

人々の財貨をむしばんでも、心をむしばんではならない。

それが、この世で悪が存続していくための唯一の条件である。
それさえ守っていれば、悪は生きながらえることができる。

さて、医療の世界では、本人の心に大きな歪みがあるのに、本人には病態が発現せず、まわりの家族や友人に病気が発症するという現象がしばしば見られる。
本人の業が強すぎて、みずからの発症を許さない分、周りの人々が発症を引き受けるのである。
政治の世界においても、政治家がみずからの高邁な理想や名誉欲のために何かを隠したり私財をため込んだりすることは、まわりにそれほど大きな影響を与えるわけではない。
だがある種の言動は、まわりの人々の心を損なう。
そしてそれは時に取り返しのつかないほど深い障害をまわりの人々に与える。
えてしてまわりの人々はそのことに無自覚である。
自覚できないために、それはしばしば魂の病として発症してくるのだ。





2 件のコメント:

  1. とかげ4/26/2010

    「正直言って普通の考え方だと思っています」・・・・嗚呼おそろしい。

    こういった無自覚の人々も多いけれど、自分がおかしいということを受け入れられなくて苦しむ人々もいますよね。
    それもまた辛い事です。

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  2. 無自覚な人は自分で病気を引き受けないのでまわりがおかしくなるけど、病識のある人はちゃんと自分で病気を引き受ける力のある人です。
    ただ身体は病気を受け入れても、こころに病気を受け入れる余裕がないと苦しいですね。
    簡単なことではないんですが。

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