2010/08/22

大脳の仕事と小脳の仕事

人は幸せを感じたら、もう次の瞬間にはこの幸せはいつまで続くんだろうと思って不安になるという実に因業な生き物だけれども、そしてそれはおそらく大脳の働きなんだけれども、その大脳がまた不幸のどん底の時にこんな不幸がいつまでも続くわけはないと人を救うわけだから結局トントンなのかもしれない。

大脳といえば小脳もあるわけで、小脳は大脳よりも小さいから大した仕事はしていないと思ったらそんなことはない。
例えば僕は内視鏡医なので大腸ファイバー検査をするけれども、まだ初心者の頃は大腸の一番奥まで到達するのに40分くらいかかった。
今は早ければ2~3分で奥まで入る。
この2~3分の間に何を考えているかというと、ほとんど何も考えていない。
小脳はフル回転だけど、大脳は何もしていない。
この時の小脳と大脳の関係をどう言えばわかってもらえるだろう。

例えばアフリカの草原でチーターがインパラを追いかけている。
チーターがものすごい速度でインパラを追いかけている後ろから、どっきりカメラのプラカードを掲げた太った男が汗をかきながら追いかけている。
そのプラカードには、「あ、今チーターが急に右に方向を変えました」とか、「ん?今急に速度を緩めたのはなぜなんだ?」とか「あのインパラはオスなんだろうか、メスなんだろうか」とか書いてある。太った男は息を切らしてプラカードの文字を書いては消し、消しては書きながら必死でチーターを追いかけている。

チーターとパネルの男はそのスピードも仕事の内容も違う。小脳と大脳の関係もこれに似ている。
僕が初心者の頃は大脳だけでファイバーを操作していて、小脳は何もしていなかったからすごく時間がかかった。
今はほとんど小脳だけで仕事をしているから速い。

さて、一人で仕事をしているだけならいいけれども、弟子に仕事を教えようと思ったら自分がやっていることを言葉にしなければならない。
これは大変むつかしい。
あるとき一人の外科医が僕のファイバーを習いたいというので、ただ見ていなさいと言うわけにもいかないので、何とか僕のやっていることを言語化する努力をした。
そしてそのとき、やっと僕は自分が何をしているかがわかったのだ。
ああ、そうか。僕はこういうことをしていたんだと。それはまるで霧が晴れたようだった。

それから僕の仕事のレベルが一段階アップしたように思う。
あるレベルの構造が見えた時に、違うレベルの構造の可能性が見えてくるのだ。
それは例えばプラカードの男が、寝そべっているチーターに近づいてその耳元で「あのね。君はいつもあのバオバブの木の横を全速力で走り抜けるけれども、あそこを左に曲がるとどうなるのかな」と囁くようなものだ。

小脳は日常に寄与し、ほとんど日常全部を主催しているけれども、大脳はあたかも列車のポイントをガチャンと切り替えるように、みずからが陥っている日常から違う日常に進路を切り替える仕事をしている。
列車のポイントにしがみついて絶対に動かさず列車をそのまま谷底に突き落とすようなことをするのも大脳だが、ポイントを切り替えるのも大脳だ。

大脳は普段は何もしなくてよい。だから大脳は退屈していてロクなことを考えない。例えばこの文章のように(笑)。
普段ぐうたら畳の上で寝そべっているおとうちゃんのようなものだ。男性一般がそうなのだろう。
男は普段マッチポンプのような仕事をしている。自分で火を付けて自分で消して、忙しがっている。
退屈しているからだろう。

あ、誤解を招くかもしれないので追記します。
ファイバーを操作中に何も考えないというのは挿入に関してのことです。
医学的なことはもちろん考えています。
またファイバーの挿入のしやすさは患者さんによって大きく異なります。
挿入が容易な場合は2~3分ですが、むつかしければ30分以上かかることもあります。
それとここに書いた大脳と小脳というのは比喩的な命名で、純粋な大脳と小脳の働きとは異なります。
ここで大脳と小脳と称しているのは、言語脳と非言語脳、あるいは意識と無意識と言った方が近いかもしれません。
ただ各々の役割をモノ的比喩で考えるとイメージが膨らみやすいのでここでは大脳と小脳と表現しています。





4 件のコメント:

  1. 匿名8/22/2010

    センセ~

    それはこういうことと関連があることでしょうか

    私は計算機打ちが得意で、計算機を見ずに視線は帳簿に向けたまま誰よりも速くキーを打つ続けることが出来るのですが、その目にも止まらぬ早業を行なっている最中にオシャベリをする、オシャブリじゃないですよ、オシャベリをですね、することが出来るのです

    我ながら、こんな超絶技巧を行ないつつ平気で「やー、昼に食ったラーメンのスープが変に甘かったんだけどさ、ワシ、塩ラーメンじなくて砂糖ラーメンって注文しちゃったかしらね」なんてくだらな会話を(いや、高尚な話でもね)出来るんですが、こういうのって、それぞれ脳の違う部分を使ってるんだろうなぁ、なんて思っていたのですが、これって小脳大脳の使い分けなのでしょうか、ご教示ください


    悩める子羊より


    違った
    とーし

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  2. とーしさんお久しぶり。
    帳簿を見ながら計算機のキーを打つというのは数字を扱うので大脳を使っているようですが
    数字の意味を考えているのではなくて数字を絵柄として認識し、
    絵柄とキーの位置を直結しているので早くできるんでしょうね。
    たぶん小脳の仕事だと思います。大脳はその間ほかのことを考えることが出来ますね。
    僕はキーボードを打つのが苦手で、文字はまだしも数字は駄目です。
    テンキーを見ずに打てるようになりたいと時々思うんですがいつまで経ってもできません(^_^)。

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  3. 匿名8/23/2010

    センセ~

    歳をとってくると、脳がだらけてくるような感じがする。
    いえ、私にヤル気がなくなってきてるだけですが(笑)。
    自分のようなPTSD発症者は海馬が委縮傾向にある、と聞いたことがあり、ソコを気にしていたこともありましたけど、
    最近は前頭葉の方が病んでる気がしてなりません。

    ヤバイひとより


    違った
    とかげ

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  4. とかげさんありがとうございます。
    それはもう、老人力がついたと喜ぶべきなんです。
    僕なんか老人力が付きすぎてほかの人にお裾分けしたいくらいです(笑)。

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