昨日のテレビ「この日本人がスゴイらしい」に金田一春彦さんの息子さんの金田一秀穂さんが出ていた。
番組の最後に司会の三宅裕司さんから「若い人たちに何か一言」と振られた彼は
「思いついたことを何でもいいから言葉にすること。間違っていても、正確でなくてもいいから
気にせずに思いを言葉にして欲しい」と言うのを聞いて驚いた。
この人は言葉より先に思いがあると思っているのだ。
そのことが少し気になったので書いておく。
アーサー・ペン監督の『奇跡の人』という古い映画がある。
幼いヘレン・ケラーがまだ言葉を知らず獣のような暮らしをしていたとき
サリバン先生の懸命の努力が実ってついに彼女が「水」という言葉を覚え
井戸のポンプからほとばしる水をさわって、「Water!! Water!!」と何度も叫ぶ。
それは実物の水と、脳内の言葉の「水」がつながって、脳内のモデルにスイッチが入って世界と連動して動き始めた瞬間である。
読み書きの出来なかった老婆が幼い頃行けなかった小学校へ再入学し、
「赤い」という字と「夕日」という字を覚えたときのドキュメンタリーを見たことがある。
彼女は字を覚えて最初に夕日を見た時、夕日が赤いことを認識し、「夕日は赤い!」と知って感動の涙を流した。
夕日は、赤かったのだ!
この話も脳内のモデルが、現実とリンクして動き始めた瞬間をとらえたものかもしれない。
未だ言葉を獲得しないままの心の震えは連結器のない機関車のようなもので
他の貨車や列車との繋がりを持たず瞬く間に無意識の海の中に沈んでいく。
その名づけようのない微かな心の動きに名前を与えることによって「思い」が発生する。
言葉より先に思いがあるのではない。
言葉を知らなければ思いはこの世に生を受けない。
ボキャブラリーが多いことを自慢する必要はないが
言葉の数だけひとは様々な思いを感じることが出来る。
言葉を正確に知ることは、他の人と同じ思いを通じ合うためにとても大切なことなのだ。
思いは言葉という網の目の震えである。
網の目が細かければ細かいほどそれだけ小さなものを捕えることが出来る。
粗い網は大きなものしか捕えることが出来ない。
言葉ですか^^
返信削除shinさんが打ってくれたサービスを認識できるのも、
共通言語があるからこそという有難さがありますね~。
こうしてコメントを書くときにはある程度の展開を予め想定したとしても
書き始めると思わぬ方向に行ったりします。
あれ~、こう来てしまった……っとか、自分で驚いたりすることもしばしば。
まずは言葉にしてみないとね~というのは納得です。
けっこう私はアバウトなので正確に分かってない言葉も多いです^^;
それに相手によっても「これなら共通認識がを持てるか」…さぐりを入れながら
ということにもなります。
リターンは1ルートでストレートに返すことが多いですが、
コレは、と思う場合にはメインテーマについて少なくとも2ルートの共通認識を探して、ひと手間かけています。
この工程が割と好きだったりするのですが
「オトメ女子がモテるためには”お笑い”は必要ない」と最近聞きかじったりもして
なんと私は無駄なことをしているのかと自省するべきなのかとも思いますが
なにしろwさんが「ヒ△△マ」とか声高に紹介してくださっているので
すみません何でもやるぞと、開き直っています。
思いついたことを何でもいいから言葉にすること。間違っていても、正確でなくてもいいから
返信削除気にせずに思いを言葉にして欲しい。
じゃあ例えば若者が驚いたりワクワクしたり感動したりしたときに
「スゲー」と言えばいいのか。
何を見てもスゲーと言えばいいのか。
いや、すでに若者はスゲーって言ってるし。
提言するならそこから先の話だろう。
日本語教師として教鞭を執る立場にある人が
若者に何を提言すべきだろう。
いろんな言葉を覚えなさい。それは君の人生を豊かにするだろう。
言葉を正確に使いなさい。それは君を人と結びつける役に立つだろう。
これは道徳ではない。
道具が、命の質を変えるのだ。
なにしろヒ△△マとお付き合い出来るかどうかもそこにかかっているのだ(笑)。
なるほど。
返信削除神が最初に造られた霊者、イエスのことを「言葉」と呼んだのではなかったか。
違ったかな。
>思いついたことを何でもいいから言葉にすること。間違っていても、正確でなくてもいいから気にせずに思いを言葉にして欲しい。
もんのすごく次元の違う話で。
とかげさんありがとうございます。
返信削除この番組は僕は好きでいつも見ています。
金田一春彦さんの息子さんだからさぞかし言葉の大切さや深い尊敬をお持ちだと思っていただけに
何でもいいからしゃべりゃぁいいんだよみたいなスタンスに驚いてしまったのです。
まあ別にいいんですけどね。
がっかりだけど。