伊丹さんのエッセイには詩情がある。
その例を、ここで引用することはしない。
ご存じでない方は例えば彼の「女たちよ!」の中の「思索的自転車」あるいは
「ヨーロッパ退屈日記」の中の「最終楽章」をお読みいただきたい。
彼の使う言葉のリズムや音の正確さ。
その言葉に乗って運ばれる詩情の愛くるしさ。
私は彼と彼の文章をこよなく愛している。
時折、ふいに私の記憶によみがえってくる一文がある。
それは「問いつめられたパパとママの本」の中の、最後から4つめの問いに対する返答の一文である。
「だれもいない森の奥で巨きな木が倒れるとき、音はするのだろうか」
あたりを聾するほどの大音響と共に、巨木が倒れる。そこに人がいれば。
だが誰もいなければその木が倒れるところを目にするひとはなく、倒れる音も聞かれまい。
巨木が倒れる。音もなく。
彼が倒れた時、誰がその音を聞いただろう。
こんばんは^^
返信削除おすすめ本、ありがたいですね~♪
おもしろそうだな~っと、図書館へ寄ってみたら今日は閉館で
けっこう大きめの書店で探しましたが、なくて、
やはりアソコでポチ☆ですかね^^
>bouquet-nさん。
返信削除こんばんは。本との出会いって不思議ですよね。
本屋さんでちらっと見ただけでその本が自分に向かって語りかけているかどうかわかってしまいます。
どんなに世間で話題になっていても自分には何の磁力も感じない一方で
どこからそんな本を探してきたのかというような本と不思議な出会いがあったり。
最近僕は磁力を感じる力が落ちたせいかハズレが多いです(笑)。