僕たちは何でも写真に撮れる。
なぜそれを撮ってはいけないのだろう。
いや全然構わない。
ただ第三者にとって写真は違う時空間への窓でありドラえもんのどこでもドアなので
写真に写っているのが日常の連続ならあえて写真という枠を通して見るまでもない。
それはかつて見たことがないものであったり、
そんな思いで見たことがなかった日常であったり、
そんな思いで見てみたい日常だったり。
今見ている日常を、違うふうに見てみたい。
マクロとか広角とか望遠とか魚眼とかいった様々なレンズは
つまり世界を変換する道具なんだな。
僕たち自身がそれぞれ世界を変換するレンズだったら。
「キミを通すと世界が違って見える。」
「あなたを通してみる世界はタイクツ。」
なんて言われちゃったりして。
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