2021/04/11

物語を着た欲望


#156
Sigma dp0 Quattro







猫や犬を見ていると欲望そのものに永続性がないことがわかる。しかし人間の欲望は物語(ストーリー)という服を着る。ストーリーは脳の中で手足を突っ張って消失を免れようとする。ストーリーは脳内のほかの物語とつながって命をもらい、脳の中で自由に動き出したり新たな物語を生み出したりする。自動能や永続性を獲得した欲望は排除することがむつかしい。
「女はホルモンの奴隷よ!」という野沢直子の名言があるが、その伝で言えばひとはストーリーの奴隷である。煩悩とは物語を着た欲望のことだ。

どうすれば煩悩から自由になるだろう。
その欲望がストーリーという横糸につながっていること、欲望の根っこがホルモンや生理や習慣という縦糸につながっていることを知れば、連携を切って欲望を本来の裸で身軽な欲望に戻すことが出来るかもしれない。
これは禅・仏教の立場だが、そういえば室町時代の禅僧一休宗純が肉を食し、女を抱き、酒を飲むという一見破戒僧のような振る舞いをしていたのも、彼が物語を脱いだ裸の欲望と戯れる自由を会得していた表れかもしれない。

ちなみにストーリーを着た欲望が「行動」というハンドルを握っているのが問題なのだから運転手を別のストーリーに変えればいいじゃないかという方法もある(キリスト教などの欧米系宗教の立場)。ただ行き先は運転手次第だし、乗客はより大きなストーリーの中に入ることで一見自由な感じはするがストーリーの奴隷であることに変わりはない。禅の自由が青天井なのに対し欧米系宗教は大きな体育館とでも言おうか。






0 件のコメント:

コメントを投稿

twitter