最近仕事にORISを腕に巻いて出勤している。週に一度の出勤だから当然最初は止まっているのだが竜頭を巻かずに自動巻きで自然に動き出すに任せる。車が職場についてみると動いているのでそこではじめて時刻を合わせる。半日ほど働いて帰宅し腕時計を外してそのまま置いておく。翌朝起きて時計を見ると日付変更線を超えた夜中あたりで止まっている。針を午前9時に合わせて来週の仕事に備えるという流れ。
ORISを買ったのは2019年。買った当時は自動巻きという機構との付き合い方が分からず、時計が止まるということを受け入れられなかった。動いているのが当たり前という意識があった。かといってずっと腕に巻いているわけにもいかないからせっせと手巻きしていたら2020年に竜頭がロックして動かなくなった。スイス本社に歯車を取り寄せて僕の手元に戻ってくるのに3ヶ月かかった。それでも時計が止まることを了解できなかったので手巻きが駄目ならとワインディングマシンを購入し機嫌良くくるくる回していたら1年後に自動巻のローターが動かなくなった。また修理に出した。今度は1か月で帰ってきた。3年保証の期間内だったのでその時も無料で済んだがさすがに懲りて常時作動があたりまえという意識の呪縛を自ら解いた。
考えてみれば時計というのは仕事や人生の象徴のような立ち位置にある物件なのかもしれない。ひとは、特に男性は腕時計にありうべき自己イメージを投射する。ストップウォッチなどの三針で世界の時刻がわかるガチガチに機能満載な腕時計は人生でも最前線でフル稼働している人やそのような人でありたいと思う人のアイコンだろうし、日光や蛍光灯に数時間当てれば何年も場合によってはずっと止まることのないソーラー腕時計をしているひとはひょっとしたら人生という時間が有限であることを意識したくない気持ちの現われなのかもしれない。いや単に便利だからだ、何をしょーもない深読みしとんねんという声も聞こえてくるが。
僕がクォーツではなく自動巻時計を手に入れたのは退職して2年後だからいつまでも最前線でもないだろうという気持ちがあったからだが、それでも「時計が止まる」ということを受け入れられずせっせと手巻きしたりワインディングマシンを回していたのはまだ仕事や人生に未練があったからだろう。ようやく所ジョージさんのだいたい時計みたいなルーズな気分を手に入れることができたわけだがそれでも時には高機能な時計にあこがれたりもする。そういう憧憬も含めて人生はチクタク動いていく。
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