Leica M10-P Noctilux 50mm F0.95
長い間ライカに憧れを抱いてきた僕のようなものからみるとライカには明らかにエクリチュールというか文法のようなものがある。日本語には日本語の、英語には英語の文化的背景があるようにカメラにはそのカメラの寄って立つ歴史や文化やあるいは、もっと端的に匂いのようなものがそのカメラで撮られた写真に醸し出されていて、そのカメラで撮ればそんな匂いが勝手についてくる、あるいは撮る人の側にカメラのエクリチュールに無意識に従ってしまう。その写真はライカっぽいとか、ライカ的でないとかいうような感覚が知らない間に撮影者やひいてはその写真を見る人の暗黙知になっている気がする。
僕のイメージする、そして魅力を感じるライカらしいテーマを思い浮かぶまま並べてみると夕暮れ、夜、街、飲食店、バーのカウンター、人影、着物、グラスなどの食器、本、自転車、車、バイク、バス、電車などなど。つまりこれらは大雑把に言って「街のひとと暮らしにまつわる風情スナップ」ということになるわけだが、ライカというカメラの主要な購買層がある程度金銭的に余裕のある都会人で、しかもそもそも写真というジャンルに特段のこだわりのない、こういって悪ければノンシャランな旦那のお座敷芸風であっても仕方のないことだと思うし、僕自身そういった垢抜けた洒落たセンスを愛する者の一人でもあるのだ。
ただなんというか僕のような出自の人間にとってはライカ文化圏というのは何となく居心地が悪い。そんなことは気にせずに僕は僕自身を喜ばせる表現で遊んでいればいいんだけどサ。
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