映画「あげまん」の舞踊監修をされた猿若清三郎氏は、伊丹さんに花柳界のあるエピソードを話されたことがある。
猿若氏が芸達者な高齢の芸者に「このお仕事をいつまでおやりになるつもりですか」と尋ねたところ
そのひとはこのように答えたという。
「一生です。でも一つだけ辞めるきっかけがあります。
それはお座敷で立ち上がるときに、床やお膳に無意識に手をついたときです。その時が私の引退」
伊丹さんはこの話に興味を示し、早速脚本に活かしたいと答えた(「伊丹十三の映画」新潮社より)。
ゆかしく、潔い話である。芸を志すものにとっての理想かもしれない。
僕はその話を読んだあと、ぼんやりとお風呂で考えていた。
そしてふと気が付いた。
これは、自分の芸の終焉は自分が決めるという意思の表明なのだ。
厳しい自己統率と現実とのぎりぎりのせめぎ合いの中で、老いという現実があるべき自分とのギャップを生み出したとき
そのギャップがこの線を越えたら辞めます、という表明なのだ。
逆に言えば、老いが芸を劣化させてもこの線を越えなければ誰に何と言われようと辞めないという意思の表れであり
みんなが辞めないでと言っても、この線を越えたら私は自分から辞めますという表明でもある。
彼女は、いつまで続けるか、いつ辞めるかは、私が決めるのだ。その事に関しては誰にも口を挟ませないと言っているのだ。
この話で思い出すエピソードがもう一つある。
それは僕が大学生の時に読んだ雑誌ブルータスのヘミングウェイ特集の中の一節だ。
ヘミングウェイは親友のホッチナーにある時こう言った。
"Hotch, if I cannot exist on my own terms, then existence is impossible.
Do you understand? That is how I lived and that is how I must live."
「ホッチ、俺は自分の好きに生きてきたし、それが無理なら生きていくつもりはないんだ。
わかるか?俺はそんな風に生きてきたし、これからもその考えを変えるつもりはない」
そしてほどなく彼は猟銃自殺を遂げた。
伊丹さんは完璧主義の人だった。
どんな小さな事もなおざりにせず、徹底的にあるべき理想を追求する人だった。
徹底して理想を追求する人は、逆に言えば理想通りでない現実に我慢ならない人だったということでもある。
死の直前、彼は普段と全く変わらず、悩んでいる様子は微塵もなかったと、彼と交流のあった人たちは一様に述べている。
それが自殺であったなら、彼は事も無げに死んでいった。
まるで去っていく部屋の電灯を事務的にパチンと切るように。
僕は自己統率の人がみんな自殺すると言っているのではない。
それに伊丹さんの死は、やはり他殺だったのかもしれない。
でももし彼の死が自殺だったとしたら(そしてその疑念は最近僕の中に芽生えたのだ)、
僕は僕のこころの中の伊丹さんを埋葬するために、ある物語が必要なのだ。
ただこの仮説は物語としては弱い。
彼は確かに完璧主義の人だったけれども、自分の周りの人たちには非常に優しかった。決して怒鳴ったりしなかったのだ。
内心はいらだっていたかもしれないが、出来ない人に対しても、基本的に優しいまなざしを向けていたからである。
彼には、出来ないことを許す気持ちがあったのだ。
そんな彼が自分をも許していなかったとどうして言えるだろう。
しかしこの老いた芸者の話は、全く手がかりのない彼の死の重要なヒントのような気がする。
それで誤解を招くことを承知でこのような文章を書いた。
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