2007/09/26

ポジティブなイメージを発信するということ

私たちは普段、自分が発信しているイメージを意識せずに生活しているけれども、実際には私たちは自分の周囲に様々なイメージを発信しながら生きている。
明るいユーモアを発信しながら生きている人もいれば、怒りと呪いの言動を発散させながら生きている人もいる。

むかし僕は病院の前で一人の中年女性が呪詛のことばを吐きながら放置自転車に八つ当たりしている姿を見てやりきれない思いになり、僕達は周囲に泥団子を投げつけながら生きているのではないかと感じた。
私たちがそれを意識していようがいまいが、人生とは絶えざる泥団子の投げつけ合いなのではないか。

伊丹十三氏はそのエッセイの中で、「あっ、あぶない。その一瞬が死を招く」などといった交通標語の愚劣さと無意味さについて言及したあと、ただひとつ京都の町で見かけたある標語には感心したと述べている。僕の記憶が正しければ、その標語は「人車 整然と行く 美しさ」というものであった。多くの交通標語が、「こんな事をするとたいへんなことになりますよ」というネガティブなイメージで構成されているのに対し、この京都の交通標語はポジティブなイメージで作られていることがわかる。

私たちは普段泥団子ばかり投げているけれども、ごくたまに花束を投げることも出来る。
悲しく、やりきれない現実の中で、思い通りにならない自分を抱えながら、それでもなお怒りや呪いの発信を控えて、ポジティブなイメージを発信するということは、困難だが大切なことである。しかし困難な状況の中で、暗いカードを選ばずに、明るいカードを提示することは可能だろうか。どのような心証が、そのような明るいカードの選択を可能にするのだろうか。

映画「ダイ・ハード」シリーズの中でブルース・ウィリス演じるニューヨーク市警の刑事ジョン・マクレーンは、しばしば非常に困難な状況の中で意外な言葉を口にする。テロリストの策略を阻止するために大空港の地下をたったひとりで奔走し、ついに息が切れて走り続けることが出来なくなったときに、彼は言う。
「タバコをやめなきゃな」。
これはユーモアである。おそらくこれは彼の頭の中で自分の置かれている状況が悲劇から喜劇に入れ替わった瞬間に発せられた言葉なのだ。自分の置かれている状況に違う方向から光を当てると悲劇が喜劇に変わったり、喜劇が悲劇に変わったりする。困難な状況のなかで明るいカードを提示できるためには、自分の置かれている状況を固定視せず、様々な見方が可能であること、従って我々は様々なカードの選択が可能であることに気が付くことが大切なのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿

twitter