ユーモアはどこで生まれるのだろうか。
過酷な労働環境下で、狂わず、腐らず生きていくためにはどうしたらよいかについて、僕は以前職場の後輩たちと話をしたことがある。
その時僕は彼らに、「答えはおそらく『ユーモア』にある。」とひどく真面目な顔で答えたものだ(いやはや、僕にはユーモアがなかったのだ)。
ユーモアはどこで生まれるのだろう。その場所がわかれば、僕もユーモアを産めるかもしれない。 その場所をしかし、僕は見つけることは出来なかった。ユーモアとうなぎの産卵場はその後もずっと謎のままだった。
おとといのブログ「ポジティブなイメージを発信するということ」を読み返していて、納得がいかないので書き直していたら、ユーモアの生まれる場所を発見した。
それは悲劇と喜劇が入れ替わる場所。
悲劇と喜劇がせめぎ合う場所。
この悲劇と喜劇の波打ち際こそが、ユーモアの産卵場だったのだ。
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