世の中には仕事が楽しくてしようがないという人もいるけれどやはり仕事というのはつらいものだ。
僕の場合は休みが終わって月曜日が始まるときには潜水で25メートル泳ぎきるために大きく息を吸い込んでから潜り始めるように、意を決しなければ一日を始めることができない。一日が始まれば僕たちは不本意な苦汁を舐めながらひとつづつ波を超えていく。それが単純な仕事であれ複雑な仕事であれ、誰もが自分に担えるだけの荷物を背負いながら生きて行くという意味では、その労苦に軽重はない。それぞれの人が、それぞれの労苦を背負って一日をはじめるのだ。
先日朝眼が覚めて、ああ今日仕事を休めたら幸せだろうなと思いながら布団の中でぼんやりしていたときに、例によって天啓のような言葉がひらめいた。
「私が私になりにいく」
人と会って話をするでもなく家で微睡んでいる私は何者でもない。
人と会って話をすることで初めて「私」というものが立ち上がる。
私は、私になりにいくのだ。
僕はガバっと勢い良く布団をはねのけて顔を洗いに行った。
2011/03/29
2011/03/27
眼鏡を持ち歩くためのひと工夫
普段は遠近両用眼鏡を使っていますが
長時間本を読むときや万年筆で本の内容を筆写しているときは遠視用の眼鏡のほうがずっと楽。
でも遠視用の眼鏡を持ち歩くのは面倒。
メガネケースは胸ポケットに入れるとかさばるのです。
薄い封筒型の革のメガネケースはネットでも売っているけど高い。
それで以前みゆさんから頂いた遊中川のブックカバーをメガネケースとして使うことを思いつきました。
家内にスナップボタンを縫いつけてもらって。
ハラリと開くとこんな感じ。
手紡ぎ手織りの麻がいい感じ。
内側は柔らかい綿なのでレンズを傷つけないし。
丈夫とは言えないけどかなり気に入りました。
2011/03/25
モンブラン149の帰還
2011/03/21
2011/03/20
2011/03/18
電脳上の連歌
2011/03/14
47年目の真実
万年筆を積極的に使うようになると
何でもいいから書きたいという止むに止まれぬ欲望がわき起こってくる。
それで僕は今読んでいる本を万年筆で書き写すことにした。
毎晩万年筆でガリガリ書きまくる。
そのうち僕はペンの持ち方を意識するようになった。
もともと僕は指の関節を曲げ伸ばしして字を書くということが出来ない。
どうやって書くかというと、手首全体を動かして書く。
いや手首というより肩で書くというか。
あはは。自分でも笑ってしまう。
腕をブンブン振り回して書くなんて、何という無駄に労力のいる書き方だろう。
何度も改めようとしたけど長くは続かなかった。
どうしてかはわからないがすぐにもとの書き方に戻ってしまうのだ。
ところが今日いつものようにガリガリ書きながらふと親指の末節を強く屈曲させてみたら
指だけでペンがコントロールできることに気が付いた。
親指を強く屈曲させて、さらに末節を強く背屈させた示指をペンを押し付けると、
指で字が書ける。
考えて見れば、伸びた関節よりあらかじめ曲げた関節のほうが屈伸に移行しやすいし
曲げた指で持つ方がペンの保持がしっかり安定する。
やれやれ、たったこれだけのことがわかるのに半世紀もかかってしまった。
なんと長い道のりだったことだろう。
でも40年以上もかかってようやくわかることもあるというのは、それはそれで感動的なことだった。
長く生きていれば面白い発見があるものだ。
写真は今一番気に入っているセーラージェントルインクのブルーブラックと
セーラープロフェッショナルギアスリムのミュージックニブ 。
2011/03/06
古いプラチナ
2011/03/04
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