2013/09/25
ストックレンズレビュー
AF MICRO NIKKOR 2.8/55
20年以上前に買ったレンズなのに今も一番現役。
ピンはカミソリのようにシャープでボケもいい。大好きなレンズ。
AF Micro-NIKKOR 200mm f4D IF-ED
Ken Rockwell氏の「宇宙一シャープ」(だったかな?)という言葉に参って購入。
使うたびその素晴らしさに感動するがまだ使いこなせた気がしない。重くて長いので持ち運びや付け外しが大儀。
AF NIKKOR 2.8/35-70
F2.8通しのズームレンズで20年前に買ったときも結構高かったけど買った最初から「あれっ?こんな筈では」。
凄くシャープなわけでもなくボケが美しいわけでもないため今ひとつ写欲が湧かない。それ以来ズームはほとんど買わない。
Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
誉れ高きマクロプラナー。繊細なピンと涙でうるんだようなボケ。
ただ僕の中では常にマイクロニッコール55ミリと競合していて留守番になることが多い。ごめんねマクロプラナー。
Carl Zeiss Distagon T* 2.8/21 ZF.2
高いレンズなのに使いこなせていない。穴があったら入りたい。僕はカール・ツァイスと相性が悪いのだろうか。
Samyang 14mm F2.8
安価なレンズだけど使っていない。僕はたぶん広角のヒトではないのだと思う。
Minolta STF 4.5/135
Fマウントに改造したことで合焦可能距離は近くは83cmから遠景は5.5mまで。接写するときはKenkoデジタル接写リングセットを併用。
クリームのようなボケ味と合焦部のシャープさの組み合わせは文字通り恍惚郷。
しかし取り回しの大儀さと相まってF4.5の暗いレンズはファインダーでの合焦確認のし難さで出番は少ない。
LUMIX G 1.7/20
一時このひとの撮る写真にはまってスナップのまね事をしてみたけどやっぱり僕にはスナップは無理かもしれない。
ただしこのレンズはとても良いレンズです。
LUMIX G VARIO 45-200mm/F4.0-5.6
m4/3用の望遠ズーム。望遠レンズとして使わずRaynoxミクロ探検隊を装着してスーパーマクロ。
Super-Takumar 1.4/50
SigmaDP1に飽きてレンズ交換できるカメラが欲しくなりOlympus E-P2カメラ本体を買うより先に手に入れた思い出のレンズ。
被曝しながらいろいろ撮ったけどマクロプラナーと撮り比べたときにあまりの写りの違いに驚いて以後はあまり使わなくなってしまった。
Kern Switar 25mm f1.4
はじめて手に入れたシネレンズ。豆玉なのにずしりとした重量感がある。写りも面白く魅力的なレンズだけど・・・。
なんとなく手放したくない気にさせるカワイイ奴。
Kern Macro-Switar 26mm f1.1
アポマクロで世界一の明るさというキャッチコピー。シネレンズ関係の本を読みあさっていた当時称賛記事に洗脳され大枚をはたいて購入。
解放F1.1のとろけるようなボケは見事だが所詮僕には縁のないレンズ。たぶん。
Kodak Cine Ektar II 1.9/25
同じくシネレンズにドップリはまっていた頃にeBayで入手するもヘリコイドが鬼のように固く修理に出してようやく普通に使えるようになった経緯あり。
シネレンズのわりには色乗りのいい現代的な写りの優等生。
Canon TV 0.95/50
別名ドリームレンズ。ライカ熱にうなされていた頃ノクチルックスに匹敵する解放F0.95!驚異のハイスピードと文字通り夢の様なボケ味で喉から手が出て購入。
オリンパスE-P2に装着していろいろ撮ってみたがファウル多し。ごくまれにファウルボールが観覧席に届く。
COLOR-ULTRON 1.8/50
対象を空間からくり抜く力が強い。オールドレンズの中では一番よく使ったけど・・・。
M.ZUIKO DIGITAL ED 12mm F2.0
モノも写りも気に入ってる割に使っていない。宝の持ち腐れの典型。
要するに僕の意識の中ではマイクロフォーサーズは旅行用なのだと思う。その旅行も殆ど行かないものだから・・・。
このなかでマクロスイター、シネエクター、スーパータクマー、キャノンの0.95の4本を売却予定です。
店舗に売却予定ですのでコメント欄での価格交渉はご容赦下さい。
2013/09/22
merrill on merrill
2013/09/20
自分を感動させる写真が撮りたい。
写真を撮ることを趣味にしている人はみんないい写真を撮りたいと思っているはずです。
でも自分がはたしていい写真を撮っているかどうかをきちんと把握するのは難しい。
ひとの写真は正しく評価できても、自分のこととなるとわからないものです。
そこそこ満足できる写真が撮れたとしましょう。
これっていい写真なんだろうかという疑問がわいた時に
その良し悪しを分ける分岐点となる自問はどんな語法をとるだろう。
「私はそれに満足しているか?」
「私はそれに納得しているか?」
「私はそれをいいと思っているか?」
これらはいい写真のための必要条件ですが十分条件ではありません。
(例)
うさぎならば毛がフサフサしている。
しかし毛がフサフサしていればうさぎかといえばそうとは言えない。
このとき毛がフサフサしていることはうさぎであるための必要条件ですが十分条件ではありません。
ではいい写真のための十分条件とは何か。
それはたぶん「その写真にはそれを見るひとをmoveする力があるか?」という問いではないでしょうか。
具体的には一番身近なひとである私を感動させる力があるかどうか。
自分が撮った写真なのに自ら何度も見たくなる欲望に駆られるかどうか。
そういう判断基準を持っていればひとになんと言われようとも
ひとりよがりと言われようとも、それがいい写真なんだと僕は思います。
2013/09/19
こころざし
カメラの機種を指定してflickrで検索するとそのカメラで撮ったいろんな写真を見ることが出来る。
CanonやNikonやその他各社のカメラで撮った写真はそれぞれにカメラごとの特色があって面白い。
粒ぞろいの写真が目白押しだとそのカメラが欲しくなるし
緊張感のない写真ばかりだとがっかりする。
おそらくそれぞれのカメラが惹きつける集団には、カメラに対する要求に一定の指向があるのだろう。
そのなかにはとりわけ機材に特殊な思い入れをするひとに人気の機種がある。
カメラに惚れてしまうと、こんな写真が撮れました的な写真が多くなる。
こんな言い方が許されるなら写真のこころざしが低い。
すべての写真がこころざし高くあるべきだというのではないんですよ。
一枚仕上げるのに何日も、場合によっては何年もかかる絵画と比べて
カメラは人差し指を数ミリ押下するだけです。
それだけ安易になればいくらでも安易になれる。
カメラに撮ってもらっただけの、こころざしの低い写真ばかりだと寂しいじゃないですか。
そんなこと言われたら写真が一枚も撮れなくなるじゃないか!
ごもっともです。
どんどん撮ればいいと思います。
でも絵画と違って写真はどんどん捨てることが出来る。
どんどん撮って、ダルな写真はどんどん捨てればいいと思います。
ちなみに今日のアップはこころざしの低い写真です(笑)。
2013/09/18
2013/09/05
candid
インドで仕事をされているflickrのコンタクトさんが撮った牛追いする少年の写真にいくつか英語のコメントが付いていて
そのうち2人がcandidという単語を使っていました。
Aさんは"very candid!"
Bさんは"Lovely candid!"
AさんもBさんも写真を称える言葉を添えているということは分かるものの
candidという単語の意味がわからなかったのでリーダーズ英和辞典で調べてみました。
するとこの単語には
率直な, 腹蔵のない; 誠実な, ごまかしのない; 歯に衣きせぬ, 手きびしいという意味と
偏見のない, 公平なという二つの意味があって
さらに「a candid photograph」、あるいは「candid」だけで「スナップ写真」という意味があったんですね。知らなかった!
このお二人はコンタクトさんの写真がとてもスナップ的と感じてこのようなコメントを残したのでしょう。
(僕もfav(お気に入り)させていただきました^^)
さて、candidという単語は
率直である、偏見がない、スナップ写真という3つの意味を併せ持つことになります。
これらの意味は確かに似かよっていますが、では例えば試験の時にこの三つをそろって思い出せるかといえばむつかしい。
特に[率直」と「偏見がない」は少し離れている感じがします。少し距離があるというか。
だって世の中にはズケズケと率直に偏見を述べ立てるひともいるわけだし。誰とは云いませんが(笑)。
でもそれを一つの単語が担っているわけだから
今は3本の枝に分かれていても、枝分かれする前の根源的な幹の部分は共通するはずです。
もしもcandidと聞いてその幹の部分をイメージできれば、そこから自然と3つの意味を連想することが出来るでしょう。
そこで更に調べてみると、candidという単語は古語では「汚れのない」という意味だったらしい。
するとつまりこの単語は、「手が加わっていない」、「汚れていない」というのがもともとの意味で
そこから
1.率直な, 誠実な, ごまかしのない(←小細工していない)
2.偏見のない, 公平な (←操作が加わっていない)
3.スナップ写真 (←無造作な)
という意味が派生してきたということがわかります。
ちなみに18世紀のフランスの啓蒙思想家ヴォルテールの小説に「カンディード」という作品があるそうで
人を疑うことを知らない純真な若者(その名もCandide)が辛酸のかぎりを舐め尽くして
「この世界に起きることは全て善である」という思想に決別するという物語だそうで
面白そうですね。岩波文庫に訳本が出ているようなので読んでみようかと思います。
2013/09/04
絵作り擁護論(それが相手に届くかどうかという視点から)
Sigma DP3 Merrill
真っ白なキャンバスに筆記具を使って描く絵画の場合、手を加えることが問題になることはありません。
写真に手を加えることの是非がしばしば問題になるのはその出自が写実にあるからでしょう。
写真の本質がそのドキュメント性にあるなら写真に手を加えるなど、もってのほかということになります。
写真に手を加えることのやましさは偽物の真実を創りだすということにありそうです。
しかし例えば料理を提供するときに適切な量を適切な味付けでサーブするように、写真が自分や他人の心に届くかどうかという視点に立って手を加えるのは恥ずかしいことではありません。
逆に、未加工でありさえすればいいというのでは、それが相手に届くかどうかを全く考慮に入れていないという点からみてむしろひとりよがりということにならないでしょうか。
以上をわかりやすく図式化すると
ひとりよがりの未加工<<<・・・・・・・適切に手が加えられた作品・・・・・・・>>>ひとりよがりの過剰な加工
ということになるかと思います。
ここにはもう一つ問題があって、それは自分と他人とでは感性が異なるという点です。
自分の感性と他人の感性の距離が小さければ問題はないんですが感性の距離が大きいと、自分にとっては適切でも他人から見ると過剰だったり不足だったりする。
でもそこには個人の裁量権があります。
距離が大きくても自分用のサーブを優先するか
見る人のpopularityを優先するか。
それはあなた次第なのです。
2013/09/03
打球の行方
先日テレビ番組の「世界一受けたい授業」で長嶋茂雄氏の特集があって、
ゲストの江川卓氏から彼にまつわる意外なエピソードをいろいろ聞くことが出来た。
その中で僕が一番興味を持ったのは彼が現役を引退したときのインタビューだった。
「以前なら野手のいない方向へ打球がバウンドしたのに、野手の正面にバウンドするようになった」
彼が引退を決意するに至った要因はいろいろあろうが
その中のひとつのきっかけとしてこの言葉が取り上げられていたように思う。
それにしても不思議な発言である。
普通なら「体力の限界を感じるようになった」とか「ボールの速さに追いつけなくなった」というような
加齢に伴う気力、体力、反射神経の衰えを引退の理由にすると思うのだが
彼はボールのバウンドの方向が変わったと言う。
なんだ、運が悪くなったから引退するのかと思うのは浅膚な判断だろう。
おそらく彼の世界観からすれば打球は気迫の延長線上にあって野手のいない方向に「逃げる」のである。
それが逃げなくなったということはボールの先まで気迫が届かなくなったということだろう。
あるいはそれは彼自身の気迫というよりも
精一杯力を尽くした時に自分の外からやってくる「神通力」のようなものが遠ざかってしまったということかもしれない。
何を馬鹿なと思うかもしれない。
僕自身同じようなことを感じたときがある。
四半世紀近く現場の仕事をやってきた僕は訳あって最近手を降ろすことになった。
それは周囲からの強い要請であったにしろ、自らの技量への未練に言外の感慨もあったのだ。
それがむしろ腹をくくる気持ちになったのは「野手の正面にボールがバウンドするようになった」からで
かつて自分の味方だった神通力が降りてこなくなったことにある日寒々と気が付いたからだ。
誰の人生にも潮目というものがある。
2013/09/01
ノック式の蛍光ペン
雨で写真を撮りに行けないので文具系の小ネタを一つ。
みなさんはラインマーカーは何をお使いでしょうか。
最近僕が気に入っているのがこの「ぺんてる ハンディラインS」です。
勉強中にはラインを引きたい箇所がいっぱいありますが、そこでいちいちキャップをつけたりはずしたりするのはとても面倒。
かと言ってキャップを外しっぱなしにしているとすぐにペン先が乾燥してしまう。
このマーカーはノック式になっていてボールペンのようにお尻をノックすると
乾燥防止のシールドがまぶたのように開いてペン先があらわれます。
もう一度お尻をノックするとペン先が引っ込みます。
またクリップが秀逸で、うっかりペン先が出たまま胸ポケットに差し込むとペン先が引っ込む仕様になっています。
さらにこのマーカーはお尻のノック部を反時計回りに3回転すると
こんなふうに
簡単にカートリッジが交換できます。
新しいカートリッジはうしろから差し込んで時計回りに3回転するだけですぐに使えます。
ネット通販ではペン本体は100円程度、カートリッジは55円などで売られています。
安いのでカートリッジをこんなに買ってしまった。
このタイプのマーカーではペン軸が細身なのも気に入っています。
ただ難点が一つあって、爪で引っ掻くとボディの塗装が簡単に剥がれてしまうことです。
ぺんてるはノック式マーカーを2004年から販売しているそうで
このHandy-line Sは2011年発売だそうです。
以上ハードに勉強する人用の小ネタでした。
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