2013/03/29
and other assorted pictures.
Nikon D800E with AF Micro-NIKKOR 200mm f4D IF-ED
Nikon D800E with AF Micro-NIKKOR 200mm f4D IF-ED
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
Nikon D800E with Carl Zeiss Distagon T* 2.8/21 ZF.2
2013/03/28
3月28日
2013/03/25
2013/03/24
2013/03/22
2013/03/20
sakura saku
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
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Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
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Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
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GRD4
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2013/03/17
神様の土地
たとえばパソコンのOSがそのパソコンの特質を決めるように
言語はその言語を用いる脳の特質を決定する。
印欧語族の脳の中で神は人格神として存在するために
神との間には、まるで人との付き合いのようにルールや義務や契約や恩義や
異なる人格神を奉ずるものとの間の殺し合いが発生する。
我々日本人がキリスト教やユダヤ教やイスラム教に感じる違和感はそのあたりに原因がありそうだ。
日本人の場合、神は人格というよりも脳内のひとつの区画であって
そこに何を放り込むか、何を建てるかは各人の裁量に任せられている。
その区画の使用法はその周囲の区画との関係で決まる。
したがって周囲の事情が変われば神の区画も変化する。
区画の大きさも決まっておらず、
大きなスペースが必要な場合は広くなるし
事情があって縮小しなければならないときは、それがなくならないかぎりどこまでも小さくなる。
むしろこの区画はその無名性にこそ意味があり
他の区画のあいだにあって不定形のバッファ(緩衝材)として
あるいは他の区画をスムーズに運用するための潤滑材として機能している可能性がある。
ある人にとってはそれは世間であり、
ある人にとっては自然界であり、
ある人にとっては地蔵(その土地に宿るもの)であり、
ある人にとっては先祖であり、
ある人にとっては仏やキリストであり、
ある人にとっては呪うべき運命(さだめ)であり、
ある人にとっては普段すっかり忘れ去られた休閑地である。
なぜ日本人は無宗教なのかと外人から聞かれたらニッコリ笑ってこう答えよう。
われわれに神はいないが神様の土地なら持っている。
そのことは神様にお願いしてある。
2013/03/15
宝物を手に入れたら黙っておけ。
それでも親しい友人には是非伝えておきたいこともあるわけで
以前hiroshipsさんが紹介してくれたミッシャ・マイスキーのYouTubeを見たあと
僕が持っているYo-Yo Maのバッハの無伴奏チェロ組曲のカスタマー・レビューをアマゾンで読んでいたら
ある人がアンドレ・ナヴァラを強く推していた。
知らない名前。
その、知らない彼の演奏をYouTubeで聴いてHMVで注文したのが去年の秋。
それから半年のあいだ何度彼の演奏を聴いただろう。
薄暗い石壁の部屋のなか大きなチェロを揺らしながらバッハを弾いている彼が居る。
僕の目の前で父性が踊り、父性が笑い、父性が泣く。
横溢する父性、ほとばしる父性が、ある時は深く物思いに沈み、ある時はおどけてユーモラスにステップを踏む。
そのどの一音も、あたたかくてゴツい。
Yo-Yo Maではいくら聴いても輪郭の浮かび上がってこなかったバッハが
男性的な演奏家が男性的な楽器を使って演奏するとこうなるのだというふうに
ナヴァラの場合彼のチェロはあたかも太いノミでザクザク掘り上げていく様に明快だ。
僕は本当に大好きになった。
2013/03/14
作品を立たせるもの
それは作品の創作だけに限ったことではない。
有益な分泌物を出すこともあれば、更に有害な分泌物を出す場合もある。
すぐに吐き出して悪態をつく場合もあれば、すぐに死んでしまう場合もある。
たた呼吸するように吐く息が作品になる場合もあれば、苦労して流す汗が作品になる場合もある。
病(やまい)の分泌物としてこの世に生を受けた作品は自立することが出来ると述べたけれども
その場合作者が支えなくても作品が立っていられるのは作品が自立しているからではない。
そうではなくて作品はその作品を欲望する無数の他者の手によって支えられるのである。
それ以後作品は無名性の海を無数の手によって運ばれていく。
ただしどの作品が立つかは立たせてみなければ分からない。
2013/03/13
作品が立つ
写真というものが撮影者の手を離れて独り立ちできるかどうかを決定付けているものは何か。
触覚や嗅覚までをも呼び覚ます克明な描写や偶然性だけでは作品として立ちようがないということについてはこれまで繰り返し述べてきた。
以前「ガマの油芸術論」で考察したように私達を感動させる作品の多くは作者が病にかかることで生み出される分泌物のような性質を持っている。
こういった作品が独り立ちできる力を持っているのは、そもそもこれらの作品には世に生まれるべき必然性があったからだ。
我々の生体内では侵入してきた細菌やウイルスをマクロファージが取り込んで免疫システムが活性化し、免疫グロブリンや種々のサイトカインを放出して周囲の防御細胞や組織細胞に警告信号を発したり防御物質の放出を促したりするわけだが、我々の社会でも新たに発生してきた問題にいち早く罹患し、病と格闘することで作品という分泌物を出して周囲の人々に注意を促したり、病みかけている人に薬としての分泌物を提供するマクロファージのような人達がいる。
こういった作品には、自らが病と格闘してその結果として(自らは意図しないところで)生み出されるという点においても、そしてまた彼を取り巻く社会がそれを希求しているという点においてもこの世界に出現するのっぴきならない必然性を負っている。
そのような切羽詰まった必然性を負っているからこそ作品は作者の手を離れて自立することが出来る。
通常、病んだひとは作品を分泌しながらみずからは治癒していくのでいずれ作品という分泌物は出なくなるが、なかには職業として作品を作り続ける人たちがいる。
こういったひとたちがなぜ作品を作り続けることができるかといえば、そうやすやすと瘉えることのない難治の病にかかっているか、あるいは癒えても次々と新たな疾患に罹患していく、いわば「病み屋さん」のような役割を担っているからだろう。
病んでいること、健康でないことが人々に通底する作品を生み出す土壌であるなら、深く病んでいない我々が大きな作物(さくぶつ)を生み出し得ないのはしかたのないことだ。
しかし健康というものを単に症状が表面化していない病気ととらえればひとは誰しも程度の多寡こそあれ病気なのであり、大病を患っていなくてもひとは日々どこかしら病んでいる。
「病み屋さん(芸術家)」でなくても、創作活動を自らに課すことで自らを癒す可能性が生まれ、また作物を通じて他者を癒し他者とつながることが出来るということが、幸運にして大病を患っていない我々が創作活動を続けていく希望となる。
2013/03/10
3月10日
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
View On Black
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
View On Black
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
View On Black
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
View On Black
shifts
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
View On Black
視点をずらしていく。
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
View On Black
視点をずらしていくとそれぞれに違う世界が現出する。
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
View On Black
撮影者側がわずかにアプローチを変えるだけで。
2013/03/08
half sunk
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
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Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
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Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
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Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
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Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
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Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
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