2019/10/30
2019/10/26
2019/10/25
2019/10/24
2019/10/22
アサギマダラ
今日きのこを撮りに行った帰りに僕の行く手を一羽の蝶がフワフワと飛んでいった。
僕は昆虫類はあまり好きではない。花は撮るけど、基本的に昆虫は撮らない。
「撮らないよ」と思いながら見ると蝶は左手の崖のセイタカアワダチソウに留まって蜜を吸い始めた。
撮れるかも、と思ったらついカメラを構えてしまうのがアマチュア写真家のサガ。
不思議に逃げないので接写してホクホクしながら帰宅し昆虫図鑑で調べてみたら名前はすぐに分かった。
アサギマダラ。
ネットで調べてみるとこれがとんでもない蝶だった。
季節によって南北に長距離移動するのは渡り鳥だけかと思ったら、この蝶も渡りチョウの一種で東北地方から台湾や香港まで2,500キロ以上の飛翔が確認されているらしい(詳しくはこちらのサイトで)。
彼もおそらく日本列島の北の方から飛んできてここ兵庫県で一旦羽を休めたあと南へ飛んでいくのだろう。
どうりで羽根が傷んでるわけだ。
"ふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った"という詩があるけれども、本当に海峡を渡ることのできる蝶に出会うとは思わなかった。
2019/10/21
2019/10/19
2019/10/07
橋本治さん
モノゴトというのはこの世に生まれたときには素直なわかりやすい姿をしているが、時代が経ると当時の空気が消えたり後の世の人がひねくりまわしたりして最初の姿が見えにくくなる。
あるいは最初からわかりにくいものというのもあってそれは当事者が事態を消化しきれずにあるいは消化するとマズイために未消化なまま世間にプレゼンしてしまってその結果わかりにくいモノゴトという事態が出来する。
そういうわかりにくいモノゴトというのはいわばこんがらがってほどけなくなったヒモのようなものなのだが、こんがらがっている状態をありがたがったり、こんがらがっているなら難しいからわからないものとして食わず嫌いしている世間の人が多くてそこに登場するのが橋本治というひとだ。
橋本治とはなにものだったかを一言でいうなら「ひもをほどくひと」。
ひもをほどいて、もとのすがたをみんなにみてもらいたがっているひと。
彼にしてみれば世間の人たちが「もつれているもの」をなぜありがたがるのかがわからない。もつれはもつれにしかすぎない。そんなものをありがたがったり敬遠したりするのはおかしいしもったいないことだと彼は考えたのだろう。
もつれをほどいてみたらなにもないただのひものこともある。それを、神妙な顔でもっともつれさせて威張っているひとに騙されて無駄な時間を送っているひとの目をサマさせたりすることが、彼は好きだったんだろう。
あるいはこんがらがっているひもをほどいていったら原初の結ぼれ(ノット)、それは最初にそのノットを驚き楽しんだ人が世間にプレゼンした原初のノットがみえてくることもある。原初のノットはこんなに可愛らしい、あるいは美しい形をしていたんですよというふうに、ほどいてみせることが好きなひとだったんじゃないかという気がする。
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