2022/07/29
父の時計
僕は父親とは上手くいってなくて、ひどい喧嘩別れのような形で最後の日を迎えた。
父親の遺品を整理していたら古いセイコークォーツが出てきた。
Seiko0923-5000
1975年頃製造されたものだ。
新しい電池を入れてみたら動いた。
多分駄目だろうと思っていたので驚いた。
腕にはめてみた。
止まってしまった父親の時を、僕が動かしているような気がした。
ガラス風防は傷だらけだ。
800番の耐水ペーパーで磨いた。
キズは消えたがガラスと額縁の隙間から水が染み込んでしまった。ネットで調べると文字盤内の湿気はムーブメントを駄目にするらしい。風防ガラスのキズさえ消えてくれたらと思って始めた作業だが分解しないといけないことになった。
左から
時計本体、本体を入れているケース、ガラス風防、風防を納めている額縁
の4つが一気にとれた。
本体側面はかなり汚い。
丹念にごみ取り。
額縁の側面のさびをマイナスドライバーで削る。
本体のケースの内側もピカールで磨く。
ケースのキズは耐水ペーパーで磨く。
3針の根元やデイトの上縁に茶色い錆。
このサビはピカールでは落ちなかったのでマイナスドライバーの先で削った。無体裁だが仕方がない。
機械油を爪楊枝の先にちょっと濡れるくらいつけて3針の根部に染み込ませた。
磨りガラスのようになった風防ガラスをスーパーセメダインXで額縁に貼り付けたら接着剤がはみ出してすごく汚くなった。
この写真はそのはみ出した接着剤を丁寧に除去したあと。
ガラセリウムは最初手で磨いてみたが
いつまでたっても磨りガラス状態なのでドリルにヤナセ インパクト用 軸付フェルトホイールというのを取り付けて磨いた。
ピカピカになった。
組み立て終わって腕にはめた。
なんだか追悼の儀式みたいだったな。
2022/07/13
2022/07/01
マイクロコントラスト
海外のサイトを見ているとZeissのレンズはcolor renderingがよいとかmicro contrastに優れているという表現をしばしば目にする。
color renderingは直訳すれば色表現のことなので、じゃあなにか?Zeissは彩度が高めだけどそれ以外のレンズは彩度が低いって事か?と食って掛かるヒトもいるかもしれないが、おそらくcolorをrenderするという言葉には単純に彩度のことだけを言っているのではないだろう。これから述べるmicro contrastについてもそうだが、とかく写真にまつわる感覚表現には曖昧さがつきまとう。話者が何を評価の指標にしているのかがわかりにくく、対話の基礎となる言葉の意味の定義を決めないまま表現だけが一人歩きしがちなのだ。
Googleで"What is micro contrast?"とキーを打つとトップに上がってくるのはDPReviewというサイトの質疑応答フォーラムだ(リンク)。Jack Lamさんの質問に対し61人が回答を寄せている。面白そうな議論なのでとりあえず質問者の箇所だけを訳してみよう。(私はプロの翻訳家ではないのでいろいろ間違っていると思う。それでもかまわないとおっしゃる方だけ読み進めてください)。
《質問者》
私はレンズの特徴や好みについて探求しているが、最近いよいよマイクロコントラストというのがわからなくなってきた。これは実に議論紛糾するテーマだ。
それは究極のレンズ特性で高品質のレンズの持つ聖杯のようなものだという人もあれば、いやいや、マイクロコントラストなどという曖昧な概念はもっと正確な科学的記述に置き換わるべき「まやかし」だと言う人もいる。
面白いのは我々の誰一人としてマイクロコントラストの正確な定義を持っていないらしいということだ。多くの人がそれは測定不可能だという。彼らが言うにはマイクロコントラストというのはただのコントラストやシャープさや解像度ではなくて、明部から暗部への美しく精緻なトーンの移行のことだと。またあるひとはマイクロコントラストを禅のようなものと考えており、それは数値化できるものではなく何か感覚の世界でしか捉えられないものだと主張している。それは特別な魔性の力だ。フォースだ。見分ける力を持ったものにしかわからないと。
そこで質問者はこの言葉の定義のコンセンサスを得るためにブラインドテストをやればいいだろうと考えて10種類のレンズで同一条件で同一被写体を撮影しどの写真が一番マイクロコントラストがあるか回答を求めたのだが、やっぱり議論百出で素直に点数を提示した人は僅かだった。
その中に一人thomasluxというひとがこの言葉の概念をきちんと定義しているサイトを紹介しており(リンク)、そこではある文字列を使ってシャープネスとマイクロコントラストのあるなしについて説明しているのだが、そのサイトの筆者によれば、
"Microcontrast is the ability for one area of the image to maintain strong tonal variation relative to the adjacent areas of the image."
拙訳(マイクロコントラストとは)「ある区画が隣接する区画よりも階調の多様性を強く維持していること」と述べている。その文字列の例では通常のコントラストとマイクロコントラストの違いがわかりにくいが、ページの下の方でSigma DP3 MerrillとSony A7R2で撮った女性の目の写真の比較で彼の言わんとすることがはっきりする。いずれの写真もシャープネスは高いのだがSigmaのほうが隣り合うまつ毛の分離がよい。まつ毛とまつ毛でないところの階調の多様性が維持されていて、結果としてまつ毛が分離しているというわけだ。
つまりマイクロコントラストというのは、局所に於ける階調の分離能のことらしい。
で、これが維持された状態をマクロレベルで見たときにどうなるか。
ミクロレベルで階調の分離が維持されていればマクロレベルで見てもトーンがなだらかに移行していくだろう。階調移行のスムーズさが生まれる。
で、ここで誤解が生まれる。ボケの問題だ。
ボケが大きい写真は階調移行がスムーズな気がする。くっきりしたものにガウスボケをかけるとぼんやりして階調がスムーズに移行しているように見える。だが、ただボケているだけでは隣接する区画よりも階調の多様性が維持されているとは言えない。むしろボケにおいてはミクロレベルでの細かな階調の変化が失われているのだ(※)。
つまり!マイクロコントラストがある写真と、ただボケている写真の両者は、階調移行がスムーズに「見える」という点で一致しているために、分離能の悪いレンズなのにボケが溶けたバターのようにスムーズだという評価が生まれる可能性がある。豊かな階調の移行が見る人に快感をもたらすので「特別な魔性の力だ。フォースだ。見分ける力を持ったものにしかわからない」といったマジックな印象が一人歩きするのだろう。
ではさっきのSigma DP3 MerrillとSony A7R2でマイクロコントラストに差が出たのはなぜなのだろう。画素数が大きければよりマイクロコントラストが得られやすくなるのではないかと思うかもしれないが、いずれの写真もクロップ後で、前者は59メガピクセル、後者は42メガピクセルで画素数にそれほど差はない。また最後に載せたSigmaの写真が15メガピクセルしかないのだが、低画素のためにシャープネスは落ちてもマイクロコントラストが維持されていることから筆者は画素数の関与について否定的な立場を取っている。
(※):これを個人的に実感するのは画像のトーンジャンプを目立たなくしようとして部分的にガウスボケをかけてもトーンジャンプが残ってしまう現象。これはジャンプしてる区画同士の階調のバリエーションはガウスボケでは復活させることが出来ないということを端的に表している。
登録:
投稿 (Atom)