2014/12/31
Farewell to 2014
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
去年のラストショットもD800Eとマクロプラナーの組み合わせでした。なんでだろう。よくわからないけれど。
僕は仕事の上で息つく暇もなく大変な一年でしたが皆さんはどんな一年だったでしょうか。
来年がよい年になることを(こころから)祈りつつ今年のshins blog 304を閉じたいと思います。
では皆さんよいお年を。
(あ、大掃除しなくちゃ)
2014/12/30
2014/12/28
2014/12/20
冬のアバルト
2014/12/16
2014/12/15
2014/12/14
2014/12/03
2014/11/30
薔薇を愛するのはたやすいが
2014/11/29
2014/11/28
侘び寂び試論
日本固有の美意識としてよく取り上げられるキーワードが「わび・さび」。
何となく感覚として理解しているつもりでも、じゃあワビって何?サビって何?
そしてワビとサビはどう違うのか改めて考えるとよくわからない。
わからないままにしておいてもいいけれど掘り下げると面白そうなテーマなので整理してみました。
侘(わ)び
侘びという言葉を辞書で調べてみると、質素、簡素、粗末、不如意(思い通りにならないこと)、みすぼらしさ、わびしさなどの説明に行き当たります。
この言葉は元来モノが不足していたり不体裁なために気持ちが萎(な)えてしょんぼりする気持ちを表していたらしいのですが、時代を経るにしたがって禅宗や茶道、俳諧などの影響でむしろポジティブな意味に変化していったようです。
ひとは豪華で豊潤なものに接すると心が満たされる感じを覚えますが、むしろみすぼらしいものに接してしょんぼりする自分の心を面白がるスタイルがこの言葉にはあるようです。
寂(さ)び
寂びという言葉を調べてみると、寂しさ、静寂、古いこと、枯れていること、もの静かで落ち着いた奥ゆかしい風情などといった説明に行き当たります。
つまりこの言葉は本来「時間の経過によって劣化した様子」を意味していたらしいのですが、侘びと同じくこの言葉も時代を経るにつれてポジティブな意味を帯びていきます。
ひとは若々しく活発でエネルギッシュなものに接すると元気が出て気持ちが高揚するものですが、その反対に古くて活性の低いもの、停止していて静かなものに触れて心のざわめきが収まることに価値を見出すというのが寂びの立場のようです。
これらをさらに言い換えると
侘びとは物質的欠乏に共感する言葉
寂びとは活性的欠乏に共感する言葉
というふうにまとめることが出来るかもしれません。
さて、これら二つの言葉は共に不足、欠損、障害、老朽、不活性といった、いわば反生命的なものにわざわざ価値を見出すという天邪鬼な性質を持っています。ここで反生命的と書いたのは、私たちが生命と聞いてイメージするところの、伸びる、満ちる、輝く、十全に機能する、若くて活発ということに対し、縮む、枯れる、くすむ、歪んで機能不全に陥る、老いて活性が低下するという方に価値を置いているように思えるからです。
生命に対する反生命。テーゼに対するアンチテーゼ。そしてそこにはそこはかとないユーモアも感じられます。当事者にとっては悲惨でも第三者の、いわば無責任な視点を自らの内に導入することで意味の相対化と逆転をもたらすという、これは赤瀬川原平さんの老人力(エイジングを面白がる気持ち)と似ています。
ワビ・サビというと古臭いイメージですが、実は既存の価値観をひっくり返す生き生きとしたダイナミズムがこれらの言葉の裏にありそうです。
とても革命的でモダンな言葉。
2014/11/27
2014/11/25
the roadside #2
Nikon D800E with Helios 40-2 85mm F1.5
同じく「道端」シリーズです。
山へ向かう途中にあるこのフェンスは僕のお気に入りで
2年前にもマクロプラナーで写真を撮りました。
これから寒くなるにつれて枯れた雑草にいい味が出てきます。
2014/11/24
the roadside #1
2014/11/21
僕自身のための赤瀬川原平試論
「赤瀬川さんは、いろいろやったように見えて実はひとつの事をやっていた人なのではないか」という南伸坊氏のコメントが芸術原論展の図録に載っているらしい。
散歩にしても野次馬にしても、「見る」ことで自分という反応体がどんな反応を示すかを面白がるために散歩に出かけるわけで、「自分の面白がり方を面白がる」というのが彼の一貫したスタイルだったのではないか。
だから晩年にすぐれない体調を押して過密なスケジュールを受け入れていたのも外からの刺激で自分の中から何が出てくるかを見たいという、これはもう彼の業のようなものだったのだろう。
僕たちは彼が面白がっていることを通じて面白さを知る。
いや、彼が自分の面白がる様子を面白がる様子を見て彼の面白がり方を学ぶ。
そういう意味では彼は面白がり方の師匠なのであって、例えばトマソン物件にしてもトマソン物件を通じて彼の面白がり方に共振するというのが僕たち赤瀬川ファンの立場で、僕たちは実際には自分でトマソン物件を探しに行ったりはしない。
美術家としての赤瀬川原平の代表作を選ぶとしたら何になるのだろうかと彼の仲間内で話題にのぼったとき、建築家の藤森照信氏は一言「ないんじゃない」と言ったという(赤瀬川原平『全面自供!』)。では彼の取り巻きや彼の著作や行動を愛していた我々は彼の何に欲望していたのか。
それは彼の眼だったのではないか。そう考えると自分の心が一番しっくりする。
たださらに重要な点は実は彼の本質は面白さの探求だけではなくて見ることで彼の中に起きる化学反応にあって、人間という生きものの全体としてのアメーバの動きの一番先端にいる鋭敏な触覚である彼自身が、その触手の先端で触ったものにどう反応するか、自分というリトマス試験紙は今の日本人のあるいは現代人の無意識の総体として対象に触ってどう反応するのかをみることで、アメーバが今いったいどこに進んでいるかを知ることが出来る、そういう面白さを面白がるということを、彼が意識的にやっていたと思われることだ。
2014/11/16
2014/11/14
2014/11/09
2014/11/04
light
Nikon D800E with Meyer-Optik Görlitz Trioplan 2.8/100
Amateurs seek sharpness.
Professionals seek money.
Artists seek light.
アマチュアはシャープさを追求し
プロは実入りを追求し
芸術家は光を追求する。
Flickrのプロフィールに自分の大切にしている言葉や信条を書き込んでいる人をしばしば目にしますが
この箴言らしきものもその一つ。
僕自身は自らを芸術家なんて恥ずかしくてとても言えませんが
最近特に光を意識するようになりました。
まぁそれはトリオプランのような水玉ボケの面白いレンズを使い出したせいでもあるんですが
順光よりも逆光、見下ろしよりも見上げにすると
いろんな光のバリエーションを1カットの中に収めることが出来るということを経験的に知ったからだと思います。
光、光、光。もっと光を。
2014/11/03
2014/11/02
Nikon D800E with Helios 40-2 85mm F1.5
Helios 40-2
当直明けのぼんやりした頭で帰宅したらモスクワから小包が届いていました。
中身はヘリオス40-2というロシアのレンズです。
僕は最近 Florence richeratauxさんというフランスの女性写真家の作品世界にぞっこんで
彼女を通じてトリオプランというレンズの存在を知ったわけですが、このHelios 40も彼女が時々使っているレンズです。
Flickrには彼女のも含めて沢山の写真がアップされており、それらを見ていてとても欲しくなり購入しました。
米国アマゾンでは5万円台ですがeBayではロシアの会社から4万円台で手に入れることが出来ます。
とはいうものの僕もロシアのレンズを買うのは初めてですし、そもそもヘリオス40-2ってどういうレンズなのか。
ネットではヘリオス44というレンズのほうが有名みたいで、いつもお世話になっているM42マウントスパイラルさんのサイトでも44の記事を読むことが出来ます。
アメリカのウィキペディアのヘリオスに関する記載や、そこからのリンクをたどると
このヘリオスというのはロシアのS・A・ズヴェーレフ記念クラスノゴールスク工場(略称KMZ)で作られているゼニートという一眼レフ用のレンズのブランド名で
さらにこのロシアのサイトなどを参考にするとこれは東独のカールツァイス・ビオター75mmF1.5のコピーらしいのですが
以前M42マウントで販売されていたものを2012年からキャノン用EFマウントとニコンFマウント用が発売になったらしい。
85mm F1.5のハイスピードレンズでレンズ構成は4群6枚のダブルガウス型。最短撮影距離はレンズ先端から60cm。
手に取るとガラスの塊のようにずしりと重い。何しろ重量800gです。
さっそくフォクトレンダーのマウントアダプターを介してOM-D E-M1に装着してみました。
ところがなぜかアダプターのロックがかからない。
そのためレンズの距離計を回すとレンズ自体が回ってしまう。
よくみてみるとレンズ側のマウントアダプターのロックピンがハマる溝の位置が少しずれていることが判明。
仕方がないのでヤスリで溝を広げることにしました。
この写真では溝を7時方向に数ミリ削って広げたところ無事アダプターをロックさせることが出来ました。
さて、操作方法なんですが同封のマニュアルを読んでもロシア語なのでさっぱりわからない。
したがって以下の記述はすべて僕の推測です。
まずカメラに一番近いリングが合焦のためのヘリコイドなのはよいとして
赤矢印のリングがなぜか空回りのようにくるくる回る。
矢印の反対方向に回し続けても何も起きないが
これを矢印方向に回し続けるとようやく固く締め終わることが出来る。
この操作はこのレンズを扱うために必須のような気がする。
レンズ先端上面に刻印されている赤ドットは常にカメラの0時方向にありますが
さきほど固く締めた真ん中のリングをこの0時のラインに合わせると
絞り値が書かれたリングを1.5から22まで自由に回転させることが出来る。
今仮に絞り値のリングをF5.6にした。
これは絞りの上限を意味しており、実際に絞り羽を動かす役割はAのリングが担っている。
下矢印の位置に赤ドットがあるが、これは常に絞り値1.5に位置しており
Aのダイヤルを回して白ドットをこの赤ドットに合わせると
絞り羽がF5.6になる。
このようにAのリングを回すと絞り羽をF1.5とF5.6の間を無断階に調整できるが
上限値がF5.6に固定されているのでそれ以上絞ることが出来ない。
また上図のようにAの白ドットを赤ドットの位置に合わせているかぎり
レンズ先端の(絞りの上限を決めている)絞り値ダイアルは固定されて動かすことが出来ない。
絞り値の上限を変更するためにはこのようにもう一度Aのダイヤルの白ドットを0時方向に戻さなければならない。
上図では白ドットを絞り値の上限F22にしてみた。
こうするとAのダイヤルはF1.5からF22まで自由に絞りを変えることが出来る。
何のためにこんな工夫がされているのかよくわかりませんが
操作ミスによる絞り値の変動を極度に恐れているような印象を受けますね。
僕自身は開放メインで使うので絞り値は1.5固定です。
古い設計のレンズなのでフレアやゴーストが出やすいことは想像に難くありません。
フードは必須ですがレンズ径67mmなのでノクチクロンのフードがちょうど間に合いました。
Olympus OM-D E-M1での開放F1.5です。
F5.6に絞ってみました。
同じくOlympus OM-D E-M1での開放F1.5です。
Olympus OM-D E-M1 Panasonic LEICA NOCTICRON 42.5mm F1.2
比較のためにノクチクロン開放です。
マウントアダプターをはずして直接D800Eに装着。
Nikon D800E with Helios 40-2 85mm F1.5
ボケ味に関してはノクチクロン開放といい勝負?
ノクチクロンはマイクロフォーサーズで85mm F1.2ですが
ニコンもキヤノンもフルサイズで85mmのハイスピードレンズはどれもとても高価です。
ロシアレンズ、おひとついかがでしょう。
ヘリオスで撮った作品第一作はこちら。
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