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2015/07/22

鏡はなぜ左右だけが反転するのか

先日NHKのチコちゃんに叱られる!という番組を見ていたら「鏡はなぜ左右だけが反転するのか」という疑問の答えが「まだよくわかっていない」だったので、以前僕なりに考えた結論を書いてみたいと思います。

まず鏡に写った像を見て「なぜ左右だけが反転するのか」という疑問が生じるためには「鏡の中の像と合体しようとする行為」が必要です。
鏡に写った像は自分とそっくりです。
実際同じかどうかを確かめるには合体すればよいわけです。

まず左右を認識しやすいために右手にリンゴを持っているところを想像して下さい。
そしてリンゴを持ったまま歩いて鏡の向こうに回りこんで鏡の像と合体してみましょう。(実際に合体するわけではありません。合体を試みる自分を鏡のこちらから見ているわけです)。
すると鏡の向こう側に回り込んだ想像上の私と鏡に映っている私はリンゴを持っている手が逆になっています。合体しようとしても左右が逆だから合体できない!という事態です。このとき私の上下と前後は合っているのに左右が逆になっています。

  今度は違う方法で合体してみましょう。
まず鏡を前に立って右手にリンゴを持ったままぴょんぴょんジャンプしてみてください。そうです。もっと高く、もっと元気よく!
いいですね!そしたらそのまま前のめりに鏡を飛び越えて頭から真っ逆さまに自分の像の中に飛び込んで合体して下さい!
すると飛び込んだ私と鏡に映っている私はどちらも同じ側にリンゴを持っています。そして顔の向きもこちらを向いています。しかし私は上下が逆になっているので合体できません。つまりこの場合左右と前後は合っていますが上下が逆になっているわけです。

では次にもうひとつ別の合体方法をやってみましょう。
あなたは鏡の前に立って鏡の中のあなたを見ています。
そのまま前に進んで鏡を通り抜けて鏡の中の私と合体して下さい。
このとき鏡を通り抜けた私と鏡に映っている私はともに同じ側にリンゴを持っており、上下も同じなのですが、前後が逆になっているので合体できないのがわかるでしょうか。

まとめです。一番目の方法は左右だけが反転する
二番目の方法は上下だけが反転する
三番目の方法は前後だけが反転する

結論です。
鏡は左右だけが反転するのではない。
前後・左右・上下のどれか一つが反転するが
そのどれが反転するかは主体がどういう合体方法を選ぶかで決まる。
ということですね。

そして私達のほとんどは合体するときごく自然に一番目の方法を採用するので、「なぜいつも左右だけが逆になるんだ」と考えますが、高飛び込みの選手は「なぜいつも上下だけが逆になるんだ」と文句を言い、壁抜けの超能力者は「なぜいつも前後だけが逆になるんだ」と文句をいうのは、したがって仕方のないことなのです。



2012/01/19

主人公探し。

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例えばドーキンスが『利己的な遺伝子』で言うところの「生物は遺伝子の乗り物にすぎない」という言説に対しても僕は僕なりに落とし前をつけておかなくてはならないのだが、この「何々にすぎない」という言い方がそもそもセンチメンタルなわけで、生命に何を期待していたのか、期待して裏切られたからこそまだ期待しているひとの背中を後ろからバッサリ斬りつけるような言い方もするのだろう。
だが問題は言明がセンチメンタルかどうかよりもむしろ生体と遺伝子の「どちらが主役なのか」を念頭に置いている点にある。

それから話は全然飛ぶけれども例えばヨーロッパの中世には天動説や地動説にまつわる議論というのがあって、地球が不動なのか太陽が不動なのかについてかつて裁判が行われた。
それはつまり地球と太陽のどちらが中心かということについての議論だったわけだが、今や地動説が正しいのは疑う余地は無いけれども、天動説が廃れて地動説が優勢になったのは地球にいる我々が惑星の軌道を計算する上で有利だから地動説が採用されたわけで、地球が動いていなくてその他すべての天体が動いていると仮定してもそれはそれでかまわない。
この宇宙に絶対不動の座標軸というものが仮に存在するとして(そんなものはないのだが)太陽がその絶対不動軸上で固定されているなら名実ともに地動説だが、もちろん太陽も地球も太陽系も天の川銀河も動いているわけで、太陽さえも地球によってその運行に影響が出るように多寡こそあれ星は全て互いに影響しあっている。それで影響の多寡の少ない視点のほうが軌道の近似値を計算しやすいから地動説を採っているわけだろう。

あるいはユダヤ・キリスト教にしても、この世界は神が作ったものなのか神は存在しないのか、そもそもそういう議論が起こってくる事自体が「この世界の主催者は誰か」ということから頭が離れていないことの証左である。
あるいは進化論で生物が多様なのは神がそう作ったからなのか突然変異と適者生存の結果なのかと議論するのがこの多様性という物語の裏で糸を引いているのは誰かというのがテーマだったりする。

我々が現象を説明するために「物語」を導入すると、必然的にそのプロットの主催者は誰なのかという問題が持ち上がってくる。
その物語の主人公は誰なのか。
それは現象にプロットを当てはめようとする行為が必然的に誘導する尋問である。
我々は言語を用いて創造したバーチャルモデルを現象と等価に扱うことで事象を理解する。
いや理解することや解釈することそのものが言語によるバーチャルモデル化であるとも言える。
そしてバーチャルモデルが自動能を獲得するためにはモデルのプロモーターが必要であってそれこそが主人公なのだ。すなわち「理解は主役を欲する」というわけだ。

「理解は主役を欲する」
だが現象は理解に先行し現象に主催者は存在せず、現象は現象だけでそこにある。
この世界に存在するのは現象だけなのだが、それを理解しようとした瞬間に主催者が召喚されるのである。
それがつまり西洋的思考の性(さが)なのだろう。

2011/04/16

シュレーディンガーの猫

なるほど彼は波の関数で
エルヴィン(シュレーディンガー)は何でも計算する
人が知りたがっているのはただ
そのとき心に何を描くかだ。
(当時のチューリッヒの物理学者たちがシュレーディンガーに寄せて歌った詩。「近代物理の発想II」講談社より)


科学くん「いやー、今日は驚いたね!」
文学くん「どうしたの?」
科学くん「シュレーディンガーの猫ってほんとにいたんだね!」
文学くん「その、シュレなんとかさんもさぞかし喜んでるだろうけど、お知り合い?」
科学くん「いや、直接の面識はないんだけど、すごくえらいひと」

文学くん「どんなふうに?」
科学くん「物質は波と考えたほうがわかりやすいっていう方程式を考えた」
文学くん「いま波の話は聞きたくないな。猫を飼ってたの?」
科学くん「普通のねこじゃなくて化け猫の一種」
文学くん「・・・・」

科学くん「ハイゼンベルクの不確定性原理とか」
文学くん「えーと、たしか真っ暗闇だと粒子がどこにあるかわからないけど」
科学くん「光を当てると粒子が見える」
文学くん「くわしく粒子の位置を確かめようとしたら強い光を当てないといけないけど」
科学くん「強い光をあてるとその光のエネルギーで粒子が動いてしまって粒子の位置が分からなくなっちゃう」
文学くん「弱い光だと粒子の位置がよく見えない」
科学くん「つまり粒子が存在する位置は確率では分かるけど、確定はできないと」
文学くん「ジレンマだね。別にいいじゃない。粒子がどこにあろうと」
科学くん「科学者はそれが許せない。どうして確定できないんだ。確定できるはずだ!」
文学くん「興奮しちゃって」
科学くん「プンプン」

文学くん「で、シュレちゃんも怒ったわけだ」
科学くん「そう。自分で方程式を作っておいて、確定できないことにむかっ腹を立てた」
文学くん「それと猫とどういう関係が?」
科学くん「話せば長いんだけど」
文学くん「だいじょぶ。誰も読んでないから」
科学くん「zzzz」
文学くん「居眠り?」
科学くん「長い話をするための深呼吸」
文学くん「どうぞ」

科学くん「シュレちゃんは考えた。『粒子の存在が確率なワケがない!』」
文学くん「はぁ。いいじゃない。粒子ぐらいあってもなかっても」
科学くん「粒子が確率なら、おいらの猫も確率か!?」
文学くん「何を言い出すのやら」
科学くん「たとえばだね、粒子が崩壊して放射線をだしてだね」
文学くん「放射線の話は今は聞きたくないな」
科学くん「その放射線をガイガーカウンターで測定してだね」
文学くん「ガイガーカウンターの話も今は聞きたくないな」
科学くん「ガイガーカウンターが放射線をキャッチしてガガガと鳴ったら」
文学くん「怖い!」
科学くん「ハンマーが青酸カリの瓶を割って猫が死ぬ」
文学くん「きゃー」
科学くん「そういう箱を作る」
文学くん「ヒドイ話」

科学くん「ということはだよ」
文学くん「ほう」
科学くん「粒子が崩壊する確率は箱の中の猫が死ぬ確率と同じだろ?」
文学くん「まあ、そう言えなくもないが」
科学くん「粒子が崩壊する確率が50%なら猫が生きている確率も50%」
文学くん「いいのかな。そんな事言って」
科学くん「言っちゃう」
文学くん「それで?」
科学くん「箱を開けてみる」
文学くん「きゃー」
科学くん「死んでる」
文学くん「あーあ」
科学くん「さっきまで50%生きてたのに今は100%死んでる」
文学くん「まあ、そうだわな」

科学くん「変だ」
文学くん「何が?」
科学くん「箱を開けなくてもすでに100%死んでたはずだ」
文学くん「そうだけど」
科学くん「そもそも50%生きてたというのがおかしい」
文学くん「50%だけ生きてると思ってたの?」
科学くん「いや思ってない」
文学くん「どっちなんだよ」
科学くん「でも計算によれば彼は箱の中で50%生きてた」
文学くん「?」
科学くん「粒子の存在が確率なら、猫の存在も確率だ。彼は箱の中で半分だけ生きていたんだー!」
文学くん「落ち着くんだ」
科学くん「半分だけ生きていた!化けネコだー」
文学くん「困ったな」
科学くん「だからね。計算では確率だけど、実際には確定のはずだろ?」
文学くん「シュレちゃんは自分で導き出した式だと存在というものが確率でしか表現できないことに悩んだわけだね」
科学くん「はい」

文学くん「科学者というのはね」
科学くん「へーい」
文学くん「理論で世界を記述したいわけだ」
科学くん「うん」
文学くん「でも世界の記述と世界とは必ずしも一致しないだろ?」
科学くん「一致させたいけど」
文学くん「一致してると思ってるでしょ」
科学くん「そういう面もある」
文学くん「だから粒子の存在を確率でしか記述できないと、確率的にしか存在してないと思っちゃう」
科学くん「意味わかんね」
文学くん「50%の存在確率は、半分透けた猫がいると思ってるだろ」
科学くん「違うの?」
文学くん「頭がイイのか悪いのか」

科学くん「でもね、昨日発表があったんだよ」
文学くん「何の?」
科学くん「ヒヒヒ。いたんだよ」
文学くん「何が」
科学くん「化けネコが」
文学くん「?」
科学くん「ばーん!!」
『東京大学の古澤教授、シュレーディンガー猫状態の光パルスの量子テレポーテーションに成功』

文学くん「ええと、どういうことでしょ」
科学くん「シュレーディンガーの猫は2匹でペアだった」
文学くん「1匹じゃなかったんだ」
科学くん「2匹でペア」
文学くん「びゅーてぃぺあ~♪」
科学くん「びゅーてぃびゅーてぃ~♪」
文学くん「びゅーてぃぺあ~♪」
科学くん「エヘン(咳払い)」
文学くん「はい」
科学くん「で、この2匹は半分スケスケでそれぞれ存在して」
文学くん「よくそんなことが!」
科学くん「一方の箱を開けて生きてたら、もう一方の箱は開けなくても中で死んでいるに決まっていると」
文学くん「何を言ってるのやら」
科学くん「いや、そういう運命のペア」
文学くん「びゅーてぃぺあ~」
科学くん「エヘン」
文学くん「あ」
科学くん「そういう運命のペアを東大は作って」
文学くん「神か!」
科学くん「その箱を別々の場所に置くことに成功したと」
文学くん「まゆつば」
科学くん「えーと、この文章を書いている人」
文学くん「shinさん」
科学くん「は、素人なので嘘を言っているかもしれませんご用心を」
文学くん「本人は悪気はないんですが間違ってるかもしれません。ご容赦を」
科学くん「続けます」
文学くん「続くんだね」
科学くん「さて、別々の場所に置くとどうなるか」
文学くん「さてお立会い!ばばんばん!」
科学くん「大阪で箱を開けたら東京の箱の中身がわかる」
文学くん「フムフム」
科学くん「箱を並べて順番に開けたら開けると同時に東京の箱の中身がわかる」
文学くん「電話で聞かなくても」
科学くん「情報の伝達速度が半端じゃない」
文学くん「何しろ同時だもんね」
科学くん「光より速い」
文学くん「なるほど」
科学くん「異常な速さ」
文学くん「くどい」
科学くん「これでコンピューターを作ったら計算速すぎ」
文学くん「量子コンピューター」
科学くん「なんだ、知ってたの?」
文学くん「エヘッ」
科学くん「テレるかね」

文学くん「えーと、つまりシュレーディンガーの猫はいた!っちゅうわけ?」
科学くん「少なくともその理屈で物事は進んでるようね」
文学くん「ということは僕らも確率で存在してるってこと?」
科学くん「君、ちょっと透けてるけど」
文学くん「え、ウソ!」
科学くん「箱を開けて僕が生きてたら」
文学くん「びゅーてぃぺあ~♪ はー、さいならー」



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2009/07/16

未来

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僕は京都で浪人生をしていた時に深い絶望の中にいた。
世界の全ての情報を知っていて、世界の全ての自然法則を知っているものは、全てを予測できる。
これを決定論というが、僕の未来は決まっていて、どうあがいてもその宿命から逃れるすべはないと考えていたのだ。
その当時僕は量子力学を知らなかったので、決定論の呪いから抜け出す方法を知らなかった。
でも僕はそんなある時、因果律を存在させているこの世界の存在そのものは因果律では説明できないということに気が付いて無性にうれしくなり、松岡正剛の雑誌『遊』に投稿して読者欄に載せてもらったりした。
それは僕がGKチェスタトンの『木曜の男』にヒントを得た発想だった。
僕はこの『木曜の男』によって、世界と和解することが出来た。

転がるボールは5秒後にどこにあるか。
ボールの位置を正確に知るためには様々な情報が必要になる。

ボールの大きさ、質量、材質、位置、速度、地面の材質、ボールと地面との摩擦係数、空気の温度、湿度、空気抵抗、風向き、天気予報、地震予報など。

5秒後のボールではなくて、この世界の未来を予測しようとしたら、この世界の現在の情報すべてをコンピューターに入力して計算しなければならない。しかも計算の結果は常に同じとは限らない。映画『ジュラシック・パーク』でジェフ・ゴールドプラム演ずるマルコム博士の言葉で有名になった『バタフライ効果』(「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」)は、カオス理論を少し囓った人ならみんな知っているだろう。

そういった、この世界のすべての情報を入力することが出来て、しかもそれが変化する法則をすべて知っていて計算できる機械などというものは存在しない。

いや、ひとつだけ存在する。
それは「この世界」そのものだ。

この世界の未来を予測するための最小単位のシミュレーションモデルはこの世界そのものなのだ。
われわれはこの世界を生きることで、この世界の未来を時々刻々体験しているのだ。
この世界そのものが、1秒に1秒ずつ未来へ進む唯一無二の巨大なタイムマシーンなのだ。

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