2013/06/02

悪魔と修行

「原罪」と同様我々日本人にとって馴染みにくい概念に「悪魔」がある。
オーメンやエクソシストといった映画を観ると「神」や「天使」と同様、「悪魔」というキャラクターは欧米人の脳内劇場の大看板として専用の楽屋を与えられているような気がする。
欧米人ではない我々には本当のところは分からないが、彼らの心のなかには常に天使と悪魔がいて天使が勝つと善行を、悪魔が勝つと悪行に走るという、ディズニーアニメのようなこと(これとか)が本当に行われているのかもしれない。
彼らの脳内ではイデアが人格化しやすいのだろう。

日本人にはこの、悪行を悪魔のせいにするという習慣があまり見られない。
少なくとも日本人にとって「悪」は分割統治の対象ではない。
それは我々には人格神がなく、また悪魔という人格悪も持っていないからだろう。

さてでは日本人にとって「悪」とは何だろう。
「あいつはワルだ」とか言うけれど、我々の中では「悪」は悪魔というキャラ以前に積極的なイデアとしてさえも存在していないような気がする。それはむしろ「非道さ」だったり「わがままさ」だったり「幼稚さ」だったりというふうに心の自己管理の問題として捉えられているような気がする。

この日本人の「自己管理」ということと深いつながりがあるのが「修行」という言葉で我々は何かというとすぐに「まだまだ修行が足りません」と言う。僕は写真が趣味だけれども、写真関係のブログやSNSには驚くほど頻繁にこの「修行」という言葉が登場するし、実際自分でも使う。前述の「まだまだ修行が足りません」を筆頭に、「修行中です」「修行したいと思います」など、ここは禅寺かと思うほど人々は修行に明け暮れている。

これは日本人だけに見られる現象だろうか。
「修行が足りない」は英語では"have more to learn"とか"require more training"ということになる(英辞郎)。
ここには学習や訓練というイメージはあっても自己研鑚的なイメージは弱い。
Flickrでも外人がこれに類することを書いているのはみたことがない(彼らは"Catching up soon"とか"Catching up slowly"とかは言うけど、これは大雑把に言えば勝ち負けの世界の言葉で自己研鑚的な意味合いは薄い)。

つまり趣味にしろ仕事にしろ日本人は自己研鑚という座標軸の中を生きているのではないか、そして「善」も「悪」も、もちろんその社会への影響を抜きには語れないけれども、概念の出自としては主に自己研鑚という座標軸のプラス極とマイナス極として存在しているのではないか。
というなんだか収まりの悪い結論のまま今日のお話は終了です。
まだまだ修行が足りませんね。


2013/06/01

「原罪」なんか怖くない

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Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55

恐ろしいものは「地震・カミナリ・火事・オヤジ」、オヤジは絶滅危惧種だがその他は文字通り畏怖すべきもので、コミュニケーションの埒外にあるもの、その制御不能性、交渉不能性こそが、我々が自然界に感じる畏怖と神性の根幹である。

世界の大きな地震の2割が集中する日本。その地震による津波で営々と築いた家族と地域の歴史は更地となり石で家を作ると地震で下敷きになるからせっせと木の軽い家を立てても瞬く間に火事で燃えてしまう。台風の通り道にあるので、精魂込めて育てた収穫目前の稲が一夜で駄目になる。
水に流してチャラにして、またほがらかにイチからやり直す。
つまり日本に生きるということは制御不能、交渉不能の運命を甘受しながら生きるということで、我々は祈りはするが見返りは求めず恨みっこなしである。

それに対し自然は征服すべきもの、コオロギの声が雑音にしか聞こえない西洋人にとって
神性は自然界にはなく、むしろ怖いオヤジ系の人格神である。
怖いといっても西洋の神とヒトとの間にはちゃんと人格という連絡橋があって、そこに契約や義務や恩義といった交渉が存在する。
しかし交渉可能ならなぜ従わなければならないのかという当然出来(しゅつらい)する疑問に対し、乗り越えることの出来ない折り込み済みのハンデとして召喚される概念こそが「原罪」というもので、あんたは生まれた時から神に借金しているのだから彼に従うべきであり、返済を猶予してもらっているのだから感謝すべきだという理屈が成り立つ。
彼らが恐れているのは神ではなくて契約違反なのだろう。

人格神は原罪を要請する。
交渉不能性こそが神性である我々日本人にとって「原罪」という概念は永遠に理解不能だろう。







2013/05/26

しおりひも

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本好きの人にはいろんなこだわりがあると思いますが
文庫で好きなのは新潮です。
しおりひもがついているから。

単行本も栞紐(しおりひも)が付いているのと付いていないのがあって
なければ例えば本の間に挟むタイプのしおりも世の中にはいろいろありますが
それはそれで読書中どこに挟むかどこに置くか
不安というほどではないにしろ落としてしまう気遣いとかで
やっぱり僕はサッと挟める紐(ひも)のタイプの栞(しおり)が好きです。

なんだ、ただの紐なら自分で付ければいいじゃないか。
何でもネットで見つかる世の中だし本用のひものしおりなどすぐに見つかるだろうと思って探したんですが
いいなと思ったら製造中止だったり、少ない本数のわりに高かったりで
ようやく見つけたのが自家製本のお店MARUMIZU-GUMIさん。

1メートルの紐が3本入って200~300円と安いし色の種類も豊富です。
僕は濃い色のフォレストセットとセーラーブルーセットを買いました。

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背表紙に接着剤(僕はセメダインスーパーXを使いました)で紐を貼り付けて














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その上からスコッチテープを貼る。














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あっという間に完成です。














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満足満足^^。














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メール便可能なので送料も安いです。
需要の少ない文具系小ネタでした^^。

2013/05/24

5月24日

2013/05/24

母逝った朝知らず口ずさむウナセラディ東京

2013/05/19

音楽壺

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Sigma DP3 Merrill















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対象を空間からノミでグリグリ刳り抜いたような写真。
ゴツンとした手触り。ごろりとした実体の、ちゃんと重力のある写真。そういう写真を何というのか。
実体を愛する。












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